などもある人ですから、私の行き届かない所からなくしたように恨まれてもしかたのない人なのですが」
 と薫は言った。僧都は予期のとおりあの人はただの家の娘ではなかった。貴女《きじょ》であろうとは初めから考えられたことであった。自身で来てこれほどに言っておられる人であれば、深く愛された人に違いないと思うと、自分は僧であるにせよ、あまりに分別なくあの人の望みにまかせて出家をさせてしまったものであると胸がふさがり、返辞をどうすれば障《さわ》りなく聞こえるであろうと考えられるのであった。事実をもう皆知っておられるらしい、これだけのことがすでにわかっている上で、探りにかかられては何も何も暴露してしまうはずである、隠してはかえって迷惑が起こるであろうという結論を僧都は得て、
「どういうことでこんなことが起こりましたかと、昨年来不思議にばかり思われていました方のことかと思われます」
 と言い、
「小野の母と妹の尼が初瀬《はせ》寺に願がございまして参詣《さんけい》いたしました帰りに宇治の院という所に休んでおりますうちに、母の尼が旅疲れで発病いたしまして、重そうに見えると申すしらせが私の所へあったものですから、私も宇治へ出かけたのです。そうしますとあちらで不思議なことが起こったと言いだしまして、母の介抱《かいほう》もさしおきまして、妹の尼はどうしてもこの方の命を助けたいと騒ぎ出しました。その若い病人も死人同様になっていましたがさすがに呼吸《いき》はあったのですから、昔の小説の殯殿《ひんでん》に置いた死骸《しがい》が蘇生《そせい》したという話を妹は思い出しまして、そんなことかと私の弟子の中の祈祷《きとう》の上手《じょうず》な僧を呼び寄せましてかわるがわる加持をさせなどしておりました。私は、惜しむべき年齢《とし》ではないのですが、旅の途中で病みました母に、正念に念仏もさせて終わらせたいと仏のお助けを乞《こ》うておりましてその人のほうはくわしく見ませんでした。何がそうさせていたかと思ってみますと、天狗《てんぐ》、木精《こだま》などというものが欺いて伴って来たものらしく解釈がされます。助けて京へ伴って来ましたあとも三月くらいは死んだ人と変わらぬようだったのですが、以前の衛門督《えもんのかみ》の妻でございました私の妹の尼は、一人より持っておりませんでした女の子をなくしましてから時はたっても、悲しみ
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