がまいりますか」
 と言うのはこの人の女の兄弟のことらしい。
「歳月がたつにしたがって周囲が寂しくなりますよ。常陸は久しく手紙をよこしませんよ。上京するまでお祖母《ばあ》様がいらっしゃるかどうかあぶないようでもあるのですよ」
 浮舟の姫君は自身の親と同じ名の呼ばれていることにわけもなく耳がとまるのであったが、また客が、
「京へ出てまいってもすぐに伺えませんでした。地方官としてこちらでする仕事がたくさんでめんどうなことも中にはあるのです。それに昨日《きのう》こそは伺おうと思っていたのですが、それも右大将さんの宇治へおいでになったお供に行ってしまいましてね。以前の八の宮の住んでおいでになった所に終日おいでになったのですよ。宮の姫君の所へ通っておられたのですが、最初の方は前にお亡《な》くしになって、そのお妹さんをまたそこへ隠すように住ませて通っておいでになったのですが、去年の春またお亡くなりになったのです。一周忌の仏事をされることになっていまして、宇治の寺の律師をお呼び寄せになって、その日の指図《さしず》をしておいでになりましてね。私もその方に供える女の装束一そろいの調製を命ぜられましたが、あなたの手でこしらえてくださらないでしょうか。織らすものは急いで織り屋へ命じることにしますから」
 こう言うのを姫君が聞いていて身にしまぬわけもない、人に不審を起こさせまいと奥のほうに向いていた。尼君が、
「あの聖《ひじり》の宮《みや》様の姫君は二人と聞いていましたがね、兵部卿《ひょうぶきょう》の宮の奥様はどうなの、そのお一人でしょう」
 と問うた。
「大将さんのあとのほうの御愛人は八の宮の庶子でいらっしゃったのでしょう。正当な奥様という待遇はしておいでにならなかったのですが、今では非常に悲しがっておいでになります。初めの方にお別れになった時もたいへんで、もう少しで出家もされるところでした」
 こんなことも語っている。大将の家来の一人であるらしいと思うと、さすがに恐ろしく思われる姫君であった。
「しかもお二人とも同じ宇治でお亡《な》くしになったのですから不思議ですね。昨日《きのう》もお気の毒なことでした。川に近い所で水をおのぞきになって非常にお泣きになりましたよ、家《うち》へお上がりになって柱へお書きになった歌は、

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見し人は影もとまらぬ水の上に落ち添ふ涙いとどせきあへず
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 というのでした。口にはあまりお出しにならない方ですが、御様子でお悲しいことがよくうかがえるのです。女だったらどんなに心が惹《ひ》かれるかしれない方だと思われました。私は少年時代から優雅な方だと心に沁《し》んで思われた方ですからね、現代の第一の権家はどこであっても、私はそのほうへ行きたくありませんで、大将の御|庇護《ひご》にあずかるのを幸福に感じて今日まで来ました」
 この話を聞いていて、高い見識を備えたというのでもないこうした人さえ薫《かおる》のすぐれたところは見知っているのであると浮舟は思った。
「それでも、光源氏と初めはお言われになったお父様の六条院の御容姿にはかなうまいと思うがねえ。まあ何にもせよ現在の世の中でほめたたえられる方というのは六条院の御子孫に限られてますね。まず左大臣」
「そうです。御容貌がりっぱでおきれいで、いかにも重臣らしい貫禄《かんろく》がおありになりますよ。兵部卿《ひょうぶきょう》の宮は御美貌の点では最優秀な方だと思えますね。女だったら私もあの方の女房になる望みを持つことでしょう」
 などと今の世間を多く知らぬ叔母《おば》を教えようとするように紀伊守《きいのかみ》は言い続けた。浮舟の姫君はおかしくも聞き、身にしむ節《ふし》のあるのも覚え、語られた貴人たちも仮作の人物のような気がし、しまいには自身までも小説の中の一人ではないかと思われるのであった。宇治の話によって大将が今も自分の死をいたんでいることを知り、悲しみのわく心にはまた、まして母はどれほど思い乱れていることであろうと推理して想像することもできたが、かえって哀れな尼になっている自分の姿を見せては悲しみを増させることとなろうと思った。
 紀伊守から頼まれた女装束に使う材料を尼君が手もとで染めさせたりなどしているのを見ては不思議なことにあうように浮舟は思われるのであるが、自身がその人であったなどとは言いだせなかった。
 裁縫《たちぬい》をしていた女房の一人が、
「これはいかがでございますか。あなた様はきれいに端がお縒《よ》れになりますから」
 と言って小袿《こうちぎ》につける単衣《ひとえ》の生地を持って来た時、悲しいような気になった姫君は、気分が悪いからと言って手にも触れずに横になってしまった。尼君は急ぎの仕事も打ちやって、どんなふうに身体《からだ》が悪くなったのかと心配してそばへ寄って来た。紅《あか》い単衣の生地の上に、桜色の厚織物を仮に重ねて見せ、
「姫君にはこんなのをお着せしたいのに、情けない墨染めの姿におなりになって」
 と言う女房があった。

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あま衣変はれる身にやありし世のかたみの袖《そで》をかけて忍ばん
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 と浮舟の姫君は書き、行くえの知れぬことになって人々を悲しませた自分の噂はいつか伝わって来ることであろうから、真実のことを尼君のさとる日になって、憎いほどにも隠し続けたと自分を思うかもしれぬと知った心から、
「昔のことは皆忘れていましたけれども、こうしたお仕立て物などをなさいますのを見ますとなんだか悲しい気になるのですよ」
 とおおように尼君へ言った。
「どんなになっておいでになっても、昔のことはいろいろ恋しくお思い出しになるに違いないのに、今になってもそうした話を聞かせてくださらないのが恨めしくてなりませんよ。この家《うち》ではこんな普通の衣服の色の取り合わせをしたりすることが長くなかったのですから、品のないものにしかでき上がらないでね、死んだ人が生きておればと、そんなことを思い出していますが、あなたにもそうしてお世話をなさいました方がいらっしゃるのですか。私のように死なせてしまった娘さえも、どんな所へ行っているのだろう、どの世界というだけでも聞きたいとばかし思われるのですからね、御両親は行くえのわからなくなったあなたをどんなに恋しく思っておいでになるかしれませんね」
「あの時まで両親の一人だけはおりました。あれからのち死んでしまったかもしれません」
 こう言ううちに涙の落ちてくるのを紛らして、浮舟は、
「思い出しましてはかえって苦しくばかりなるものですから、お話ができなかったのでございますよ。少しの隔て心もあなたにお持ちしておりません」
 と簡単に言うのであった。
 薫は一周忌の仏事を営み、はかない結末になったものであると浮舟《うきふね》を悲しんだ。あの常陸守の子で仕官していたのは蔵人《くろうど》にしてやり、自身の右近衛府《うこんえふ》の将監《しょうげん》をも兼ねさせてやった。まだ童形《どうぎょう》でいる者の中できれいな顔の子を手もとへ使おうと思っていた。
 雨が降りなどしてしんみりとした夜に大将は中宮《ちゅうぐう》の御殿へまいった。お居間にあまり人のいない時で、親しくお話ができるのであった。
「ずっと引っ込みました山里に、以前から愛していた人を置いてございましたのを、人から何かと言われましたが、前生の因縁でこの人が好きになったのだ、だれも心の惹《ひ》かれる相手というものはそうした約束事になっているのだからと、非難を恐れもしませんでしたが、亡《な》くしてしまいまして、これも悲しい名のついた所のせいであろうと、土地に好意が持たれなくなりましてからは久しく出かけることもいたしませんでしたが、ひさびさ先日ほかの用もあってまいりまして、この家《うち》は人生のはかなさをいろいろにして私へ思い知らせ、仏道へ深く私を導こうとされる聖《ひじり》が私のためにことさらこしらえておかれた場所であったと気がついて帰りました」
 薫のこの言葉から中宮は僧都《そうず》の話をお思い出しになり、かわいそうに思召《おぼしめ》して、
「そのお家《うち》には目に見えぬこわいものが住んでいるのではありませんか。どんなふうでその方は亡くなりましたか」
 とお尋ねになったのを、二人までも恋人の死んだことを知っておいでになって、幽鬼のせいと思召してのお言葉であろうと大将は解釈した。
「そんなこともございましょう。そうした人けのまれな所には必ず悪いものが来て住みつきますから。それに亡くなりようも普通ではございませんでした」
 薫はくわしく申し上げることはしなかった。こうして隠そうとしている話に触れてゆくのはよろしくないし、事実を自分に知られたと思うのはいたましいと思召されて、兵部卿の宮が憂悶《ゆうもん》しておいでになり、そのころ病気にもおなりになったこともお思いになっては、宮の心情も哀れにお思われになり、いずれにしても口の出されぬ人のことであるとして、話そうとあそばしたこともおやめになった。中宮は小宰相にそっと、
「大将があの人のことを今も恋しいふうに話したからかわいそうで、私はあの話をしてしまうところだったけれど、確かにそれときめても言えないことでもあったから、気がひけて言うことができなかった。あなたは僧都にいろいろ質問もして聞いていたのだから、恥に感じさせるようなことは言わずに、こんなことがあったとほかの話のついでに僧都の言ったことを話してあげなさいね」
 とお言いになった。
「宮様でさえお言いにくく思召すことを他人の私がそれをお話し申し上げますことは」
 小宰相はこう申すのであったが、
「それはまたそれでいいのよ。私にはまた気の毒で言いにくいわけもあってね」
 これは兵部卿の宮がかかわりを持っておいでになるために仰せられるのであろうと小宰相はさとった。
 小宰相の部屋《へや》へ寄って、世間話などをする薫《かおる》に、その人は僧都の話を告げた。意外千万な、珍しい話を聞いて驚かぬはずはない。中宮が宇治の家のことをお尋ねになったのも、この話をしようとあそばすお心だったらしい。なぜ御自身で語ってくださらなかったのであろうと思われて恨めしかったが、自身もあの人の死の真相を初めから聞かされなかったために、知ってからも疑いが解けないで人に自殺したなどとは言わなかった。かえって他へは真実のことが洩《も》れているのであろう、当事者どうしで秘密にしようと努めることも知れてしまわない世の中ではないのであるからと思い続け、小宰相にも自殺する目的のあった人だったとは言いだすことにまだ口重い気がして薫はならない。
「まだ今日さえ不審の晴れない人のことに似た話ですね。それで、その人はまだ生きていますか」
 と言うと、
「あの僧都が山から出ました日に尼になすったそうです。重くわずらっています間にも、人が皆惜しんで尼にはさせなかったのでありましたが、その人自身がぜひそうなりたいと言ってなってしまったと僧都はお言いになりました」
 小宰相はこう答えた。
 場所も宇治であり、そのころのことを考えてみれば皆符合することばかりであるために、どうすればもっとくわしく聞くことができるであろう、自分自身が一所懸命になってその人を捜し求めるのも、人から単純過ぎた男と見られるであろう。またあの宮のお耳にはいることがあれば必ず捨ててはお置きにならずお近づきになり、いったんはいった仏の御弟子《みでし》の道も妨げておしまいになることであろう、もうすでに宮は知っておいでになって、その話を大将へくわしくはあそばさぬようにと頼んでお置きになったために、こうした珍しい話がお耳にはいっていながら、御自身では中宮が言ってくださらなかったのかもしれぬ。宮がまだあの関係を続けようとしておいでになるのであれば、どんなにあの人を愛していても、自分はもうあの時のまま死んだ人と思うことにしてしまおう、生死の線が隔てた二人と思い、いつかは黄色の泉のほとりで風の吹き寄せるままに逢いうること
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