な家の子としては前生で善因を得て生まれて来た人に違いございません。そんな人なのでございます」
 などと僧都は言っていた。そのころに宇治で自殺したと言われている人を中宮は考えておいでになった。宰相の君も実家の姉の話に行くえを失ったと聞いた宇治の姫君のことが胸に浮かび、それではないかと思ったのであるが、忖度《そんたく》するだけで断言することはできなかった。僧都もまた、
「その人も生きていると人に知らせたくない、知れればよろしくないようなことを起こしそうな人のあるように、それとなく言っているふうなのでございますから、どこまでも秘密として私も黙しているべきでしたが、あまりに不思議な事実でございますからその点だけをお耳に入れましたわけでございます」
 と言い、隠そうとするふうであったから宰相はだれにもそのことは言わなかった。中宮はこの人にだけ、
「僧都のした話は宇治の姫君のことらしい、大将に聞かせてやりたい」
 とお言いになったが、その人のためにも女のためにも恥として隠すはずであることを、決定的にそれとすることもできないままで人格の高い弟に言いだすのも恥ずかしいことであると思召されて沈黙しておいでになった。
 姫宮が全癒《ぜんゆ》あそばしたので僧都も山の寺へ帰ることになった。小野の家へ寄ってみると、尼君は非常に恨めしがって、
「かえってこんなふうになっておしまいになっては、将来のことで、罪にならぬことも罪を得る結果になるでしょうのに、相談もしてくださらなかったのが不満足に思われてなりません」
 と言ったが、もうかいのないことであった。
「今後はもう仏のお勤めだけを専心になさい。老い人も若い人も無常の差のないのが人生ですよ。はかないものであるとお悟りになったのも、まして道理に思われるあなたですからね」
 この僧都の言葉も浮舟は恥ずかしく聞いた。宇治で発見された時からのことを思えばそれに違いないからである。
「法服を新しくなさい」
 僧都はこう言って、御所からの賜わり物の綾《あや》とかうすものとかを贈った。
「私の生きています間は、あなたに十分尽くします。何も心配することはありません。無常の世に生まれて人間の言う栄華にまとわれていては、これを自身のためにも人のためにも快く捨てることができなくなるものです。この寂しい林の中にお勤めの生活をしていては、何に恨めしさの起こることがありますか、何を恥ずかしく思うことをしますか、人間の命のある間は木の葉の薄さほどのものですよ」
 こう説き聞かせて、「松門暁到月徘徊《しようもんあかつきにいたりてつきはいくわいす》」(柏城尽日風蕭瑟《はくじやうひねもすかぜせうしつ》)と僧であるが文学的の素養の豊かな人は添えて聞かせてもくれた。唐の詩で陵園を守る後宮人を歌ったものである。かねて願っていたようなよい師であると思って姫君は感激していた。
 ある日風がひねもす吹きやまず、寂しい音が立っていたから、心細くなっている時に、来ていた僧の一人が、
「山伏《やまぶし》というものはこんな日にこそ声を出して泣きたくなるものだ」
 と言っているのを聞き、姫君は自分ももう山伏になったのである、だから涙がとまらないのであろうと思いながら、縁側に近い所へ出て外を見ると、軒の向こうの山路《やまみち》をいろいろの狩衣《かりぎぬ》を着て通るのが見えた。叡山《えいざん》へ上がる人もこの道を通るのはまれであって、黒谷という所から歩いて行く僧の影を時々見ることがあるだけだったのに、普通の服装の人を見いだしたのは珍しく思われたのであったが、それは失恋した中将であった。もうかいのないこととしても、自分の心を告げておきたいと思って来たのであるが、紅葉《もみじ》の美しく染まって他の所よりもきれいにいろいろと混じって立った庭であったから、門をはいるとすぐにもう行く秋の身にしむことを中将は感じた。この風雅な場所に住む美しい人を恋人にしていたならば興味の多いことであろうなどと思った。
「少し閑散になりまして、退屈なものですから、こちらの紅葉も見ごろになっていようと思って出かけて来ました。いつもここはいい所ですね。なつかしい一夜の宿が借りたくなる所です」
 こう言って中将は庭をながめていた。感じやすい涙を持った尼君はもう泣いていた。

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木がらしの吹きにし山の麓《ふもと》には立ち隠るべき蔭《かげ》だにぞなき
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 と言うと、

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待つ人もあらじと思ふ山里の梢《こずゑ》を見つつなほぞ過ぎうき
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 と中将は返しをした。尼になった人のことをまだあきらめきれぬように言い、
「お変わりになった姿を少しだけのぞかせてください」
 と少将の尼に求めた。それだけのことでも約束してくれた義務としてしなければならぬと責められて、少将が姫君の室へはいってみると、人に見せないのは惜しいような美しい恰好《かっこう》で浮舟の姫君はいるのであった。淡鈍《うすにび》色の綾《あや》を着て、中に萱草《かんぞう》色という透明な明るさのある色を着た、小柄な姿が美しく、近代的な容貌《ようぼう》を持ち、髪の裾《すそ》には五重の扇を拡《ひろ》げたようなはなやかさがあった。濃厚に化粧をした顔のように素顔も見えてほの赤くにおわしいのである。仏勤めはするのであるがまだ数珠《じゅず》は近い几帳《きちょう》の棹《さお》に掛けられてあって、経を読んでいる様子は絵にも描《か》きたいばかりの姫君であった。少将は自身でも見るたびに涙のとどめがたい姫君の姿を、恋する男の目にはどう映るであろうと思い、よいおりでもあったのか襖子《からかみ》の鍵穴《かぎあな》を中将に教えて目の邪魔《じゃま》になる几帳などは横へ引いておいた。これほどの美貌の人とは想像もしなかった、自分の理想に合致した麗人であったものをと思うと、尼にさせてしまったことが自身の過失であったように残念にくちおしく思われる心を、これをよくおさえることができなくっては、静かにすべき隙見《すきみ》に激情のままの身じろぎの音もたててしまうかもしれぬと気づいて立ち退《の》いた。こんな美女を失った人が捜さずに済ませる法があろうか、まただれそれ、だれの娘の行くえが知れぬとか、または人を怨《うら》んで尼になったとか自然|噂《うわさ》にはなるものであるがと返す返すいぶかしく思われた。尼になってもこんな美しい人は決して愛人にして悪感《おかん》の起こるものではあるまい、かえって心が強く惹《ひ》かれることになるであろう、極秘裡《ごくひり》にやはりあの人を自分のものにしようと、こんなことを心にきめた中将は、こちらの尼君の座敷に来て、気を入れて話をしていた。
「俗の人でおいでになった間は、私と御交際くださるにもいろいろさしさわりがあったでしょうが、落飾されたあとでは気楽につきあっていただける気がします。そんなふうにあなたからもお話しになっておいてください。昔のことが忘られないために、こんなふうに御訪問をしていますが、またもう一つ友情というものを持ち合う相手がふえれば幸福になりうるでしょう」
 などと言った。
「将来がどうなるかと心細く、気がかりでなりませんのに、厚い御友情でお世話をくださる方があるのはうれしいことでございます。亡くなりましたあとのこともそう承って安心されます」
 と言って尼君は泣くのであった。こんな様子を見せるのはよほど濃い尼君の血族に違いないがだれであろうと中将はなおいぶかしがった。
「将来のお世話は命も不定《ふじょう》のものですし、私も生き抜く自信の少ないものですが、そうお話を承った以上は決して忘れることはありません。あの方に縁のある方が実際この世におられないのでしょうか、そんなことがまだ少し不安で、それは障《さわ》りになることでもありませんが、隔ての一つ残されている気はします」
「普通の形でおいでになれば、いつまたそんな人が来られるかもしれませんが、もう現世《げんせ》の縁を絶った身の上になっておられる以上は私も安心しておられます。自身の気持ちもそう見えますからね」
 こんなふうに話し合った。中将は姫君のほうへも次の歌を書いて送るのであった。

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おほかたの世をそむきける君なれど厭《いと》ふによせて身こそつらけれ
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 誠意をもって将来までも力になろうと言っていることなども尼君は伝えた。
「兄弟だと思っておいでなさいよ。人生のはかなさなどを話し合ってみれば慰みになるでしょう」
「見識のある方のお話などを伺っても、私にはよく理解できないのが残念でございます」
 とだけ言っても、世を厭《いと》うように人を厭うたという言葉について浮舟《うきふね》は何も答えなかった。思いのほかな過失をしてしまった過去を思うと自分ながらうとましい身である、何ともものを感じることのない朽ち木のようになって人から無視されて一生を終えようと、姫君はこの精神を通そうとしていた。そうした気持ちから、今までは憂鬱《ゆううつ》から自己を解放することのできなかった人であるが、近ごろは少し晴れ晴れしくなって、尼君と遊び事をしたり、碁を打ったりして暮らすこともある。仏勤めもよくして法華経《ほけきょう》はもとより他の経なども多く読んだ。
 雪が深く降り積んで、出入りする人影も皆無になったころは寂しさのきわまりなさを姫君は覚えた。
 年が明けた。しかし小野の山蔭《やまかげ》には春のきざしらしいものは何も見ることができない。すっかり凍った流れから音の響きがないのさえ心細くて、「君にぞ惑ふ道に惑はず」とお言いになった人はすべての禍根《かこん》を作った方であると、もう愛は覚えずなっているのであるが、そのおりの光景だけはなつかしく目に描かれた。

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かきくらす野山の雪をながめてもふりにしことぞ今日も悲しき
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 などと書いたりする手習いは仏勤めの合い間に今もしていた。自分のいなくなった春から次の春に移ったことで、自分を思い出している人もあろうなどと去年の思い出されることが多かった。そまつな籠《かご》に若菜を盛って人が持参したのを見て、

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山里の雪間の若菜摘みはやしなほ生《お》ひさきの頼まるるかな
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 という歌を添えて姫君の所へ尼君は持たせてよこした。

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雪深き野べの若菜も今よりは君がためにぞ年もつむべき
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 と書いて来た返しを見て、実感であろうと哀れに思うのであった。尼姫君などでなく、宝とも花とも見て大事にしたかった人であるのにと真心から尼君は悲しがって泣いた。
 寝室の縁に近い紅梅の色の香も昔の花に変わらぬ木を、ことさら姫君が愛しているのは「春や昔の」(春ならぬわが身一つはもとの身にして)と忍ばれることがあるからであろう。御仏に後夜《ごや》の勤行《ごんぎょう》の閼伽《あか》の花を供える時、下級の尼の年若なのを呼んで、この紅梅の枝を折らせると、恨みを言うように花がこぼれ、香もこの時に強く立った。

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袖ふれし人こそ見えね花の香のそれかとにほふ春のあけぼの
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 姫君のその時の作である。
 大尼君の孫で紀伊守《きいのかみ》になっている人がこのころ上京していて訪《たず》ねて来た。三十くらいできれいな風采《ふうさい》をし思い上がった顔つきをしていた。大尼君の所で去年のこととか、一昨年《おととし》のこととかを訊《き》こうとしているのであったが、ぼけてしまったふうであったから、そこを辞して叔母《おば》の尼君の所へ来た。
「非常に老いぼれておしまいになりましたね。気の毒ですね。御老体のお世話をすることもできずに遠い国で年を送っていますのは相済まぬことだと思っているのですよ。両親のいなくなりましてからは、お祖母《ばあ》さんだけがその代わりのたいせつな方だと思って来たのですがね。常陸《ひたち》夫人からはたより
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