があるかもしれぬのを待とう、愛人として取り返すために心をつかうことはしないほうがよかろうなどと煩悶《はんもん》する大将であった。
やはりその話に触れようとあそばさないであろうかと思われるのであったが、中宮の思召すところが知りたくて、機会を作って薫はお話しにまいった。
「突然死なせてしまったと私の思っていました人が漂泊《さすら》ってこの世にまだおりますような話を聞かされました。そんなことがあろうはずはないと思われますものの、また自殺などの決行できる強い性質ではなかったことを考えますと、その話のように人に助けられておりますのが性格に似合わしいことのようにも思われるのでございます」
と言い、その話を以前よりも細かに申し上げ、兵部卿《ひょうぶきょう》の宮のことを、尊敬を払うふうで、お恨み申しているようには申さずお話をして、
「拾われて生きていますことがあの方のお耳にはいっているのでございましたら、私が女を疑って見る能力の欠けた愚か者に見えることでございますから、なお生きているとも知らぬふうにしてそのまま置こうかとも思います」
と申すのであった。
「僧都が宇治の話をした晩はね、こわいような気のする晩でしたからね、くわしくは聞かなかったあのことですね。兵部卿の宮が知っておいでになるはずは絶対にありません。何とも批評のしようのない性質だと私もよく歎息させられる方なのだから、ましてその話を聞かせてはめんどうをお起こしになるでしょう。恋愛問題では軽薄な多情男だとばかり言われておいでになる方だから、私は悲しんでいます」
中宮はこう仰せになった。聡明《そうめい》な方であるから人が夜話にしたことではあっても、必ずしもほかへお洩らしになることはなかろうと薫は思った。
住んでいる家は小野のどこにあるのであろう。どんなふうに世間体を作ってあの人にまた逢おう、何よりも僧都にまず逢ってみてくわしいことをともかくも知っておく必要があると薫は明け暮れこのことをばかり思い悩んだ。
毎月八の日には必ず何かの仏事を行なう習慣になっていて、薬師仏の供養をその時にすることもあるので叡山《えいざん》へも時々行く大将であったから、そこの帰りに横川《よかわ》へ寄ろうと思い、浮舟の異父弟をも供の中へ入れて行った。母とか弟とかそうした人たちにさえすぐには知らすことをすまい、その場の都合で今日すぐに尼の家を訪《たず》ねることになるかもしれぬ。夢のような再会を遂げるその時に、俗縁の親しみを覚えさせるのがよいかもしれぬと思ったのかもしれない。その人とわかったあとでも、異様な尼たちのいる所へ行き、予期せぬ事実などの聞かされることがあっては悲しいであろうなどと、行く途中でも薫はいろいろと煩悶《はんもん》をしたそうである。
底本:「全訳源氏物語 下巻」角川文庫、角川書店
1972(昭和47)年2月25日改版初版発行
1995(平成7)年5月30日40版発行
※このファイルは、古典総合研究所(http://www.genji.co.jp/)で入力されたものを、青空文庫形式にあらためて作成しました。
※校正には2002(平成14)年4月10日44版を使用しました。
入力:上田英代
校正:砂場清隆
2004年8月26日作成
青空文庫作成ファイル:
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