って、その結果私に好意を持つことがおできにならぬならそうと言いきっていただきたいのです」
 こんなことをどれほど言っても答えのないのでくさくさした中将は、
「情けなさすぎます。この場所は人の繊細な感情を味わってくださるのに最も適した所ではありませんか。こんな扱いをしておいでになって何ともお思いにならないのですか」
 とあざけるようにも言い、

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「山里の秋の夜深き哀れをも物思ふ人は思ひこそ知れ
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 御自身の寂しいお心持ちからでも御同情はしてくだすっていいはずですが」
 と姫君へ取り次がせたのを伝えたあとで、少将が、
「尼奥様がおいでにならない時ですから、紛らしてお返しをしておいていただくこともできません。何とかお言いあそばさないではあまりに人間離れのした方と思われるでしょう」
 こう責めるために、

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うきものと思ひも知らで過ぐす身を物思ふ人と人は知りけり
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 と浮舟が返しともなく口へ上せたのを聞いて、少将が伝えるのを中将はうれしく聞いた。
「ほんの少しだけ近くへ出て来てください」
 と中将が言ったと言い、少将らは姫君の心を動かそうとするのであるが、姫君はこの人々を恨めしがっているばかりであった。
「あやしいほどにも御冷淡になさるではありませんか」
 と言いながら女房がまた忠告を試みにはいって来た時に、姫君はもう座にはいなくて、平生はかりにも行って見ることのなかった大尼君の室《へや》へはいって行っていた。少将がそれをあきれたように思って帰って来て客に告げると、
「こんな住居《すまい》におられる人というものは感情が人より細かくなって、恋愛に対してだけでなく一般的にも同情深くなっておられるのがほんとうだ。感じ方のあらあらしい人以上に冷たい扱いを私にされるではないか。これまでに恋の破局を見た方なのですか。そんなことでなく、ほかの理由があるのかね。この家《うち》にはいつまでおいでになるのですか」
 などと言って聞きたがる中将であったが、細かい事実を女房も話すはずはない。
「思いがけず奥様が初瀬《はせ》のお寺でお逢いになりまして、お話し合いになりました時、御縁続きであることがおわかりになりこちらへおいでになることにもなったのでございます」
 とだけ言っていた。
 浮舟の姫君はめんどうな性質の人であると聞いていた老尼の所でうつ伏しになっているのであったが、眠入《ねい》ることなどはむろんできない。宵惑いの大尼君は大きい鼾《いびき》の声をたてていたし、その前のほうにも後差《あとざ》しの形で二人の尼女房が寝ていて、それも主に劣るまいとするように鼾《いびき》をかいていた。姫君は恐ろしくなって今夜自分はこの人たちに食われてしまうのではないかと思うと、それも惜しい命ではないが、例の気弱さから死にに行った人が細い橋をあぶながって後ろへもどって来た話のように、わびしく思われてならなかった。童女のこもき[#「こもき」に傍点]を従えて来ていたのであるが、ませた少女は珍しい異性が風流男らしく気どってすわっているあちらの座敷のほうに心が惹《ひ》かれて帰って行った。今にこもき[#「こもき」に傍点]が来るであろう、あろうと姫君は待っているのであるが、頼みがいのない童女は主を捨てはなしにしておいた。
 中将は誠意の認められないのに失望して帰ってしまった。そのあとでは、
「人情がわからない方ね。引っ込み思案でばかりいらっしゃる。あれだけの容貌《きりょう》を持っておいでになりながら」
 などと姫君を譏《そし》って皆一所で寝てしまった。
 夜中時分かと思われるころに大尼君はひどい咳《せき》を続けて、それから起きた。灯《ひ》の明りに見える頭の毛は白くて、その上に黒い布をかぶっていて、姫君が来ているのをいぶかって鼬鼠《いたち》はそうした形をするというように、額に片手をあてながら、
「怪しい、これはだれかねえ」
 としつこそうな声で言い姫君のほうを見越した時には、今自分は食べられてしまうのであるという気が浮舟にした。幽鬼が自分を伴って行った時は失心状態であったから何も知らなかったが、それよりも今が恐ろしく思われる姫君は、長くわずらったあとで蘇生《そせい》して、またいろいろな過去の思い出に苦しみ、そして今またこわいとも怖《おそ》ろしいとも言いようのない目に自分はあっている、しかも死んでいたならばこれ以上恐ろしい形相《ぎょうそう》のものの中に置かれていた自分に違いないとも思われるのであった。昔からのことが眠れないままに次々に思い出される浮舟は、自分は悲しいことに満たされた生涯《しょうがい》であったとより思われない。父君はお姿も見ることができなかった。そして遠い東の国を母についてあちらこちらとまわって歩き、たまさかにめぐり合うことのできて、うれしくも頼もしくも思った姉君の所で意外な障《さわ》りにあい、すぐに別れてしまうことになって、結婚ができ、その人を信頼することでようやく過去の不幸も慰められていく時に自分は過失をしてしまったことに思い至ると、宮を少しでもお愛しする心になっていたことが恥ずかしくてならない。あの方のために自分はこうした漂泊《さすらい》の身になった、橘《たちばな》の小嶋の色に寄せて変わらぬ恋を告げられたのをなぜうれしく思ったのかと疑われてならない。愛も恋もさめ果てた気がする。はじめから淡《うす》いながらも変わらぬ愛を持ってくれた人のことは、あの時、その時とその人についてのいろいろの場合が思い出されて、宮に対する思いとは比較にならぬ深い愛を覚える浮舟《うきふね》の姫君であった。こうしてまだ生きているとその人に聞かれる時の恥ずかしさに比してよいものはないと思われる。そうであってさすがにまた、この世にいる間にあの人をよそながらも見る日があるだろうかとも悲しまれるのであった。自分はまだよくない執着を持っている、そんなことは思うまいなどと心を変えようともした。
 ようやく鶏の鳴く声が聞こえてきた。浮舟は非常にうれしかった。母の声を聞くことができたならましてうれしいことであろうと、こんなことを姫君は思い明かして気分も悪かった。あちらへ帰るのに付き添って来てくれるものは早く来てもくれないために、そのままなお横たわっていると前夜の鼾《いびき》の尼女房は早く起きて、粥《かゆ》などというまずいものを喜んで食べていた。
「姫君も早く召し上がりませ」
 などとそばへ来て世話のやかれるのも気味が悪かった。こうした朝になれない気がして、
「身体《からだ》の調子がよくありませんから」
 と穏やかな言葉で断わっているのに、しいて勧めて食べさせようとされるのもうるさかった。
 下品な姿の僧がこの家へおおぜい来て、
「僧都《そうず》さんが今日《きょう》御下山になりますよ」
 などと庭で言っている。
「なぜにわかにそうなったのですか」
「一品《いっぽん》の宮《みや》様が物怪《もののけ》でわずらっておいでになって、本山の座主《ざす》が修法をしておいでになりますが、やはり僧都が出て来ないでは効果の見えることはないということになって、昨日は二度もお召しの使いがあったのです。左大臣家の四位少将が昨夜夜ふけてからまたおいでになって、中宮《ちゅうぐう》様のお手紙などをお持ちになったものですから、下山の決意をなさったのですよ」
 などと自慢げに言っている。ここへ僧都の立ち寄った時に、恥ずかしくても逢って尼にしてほしいと願おう、とがめだてをしそうな尼夫人も留守で他の人も少ない時で都合がよいと考えついた浮舟は起きて、
「僧都様が山をお下《お》りになりました時に、出家をさせていただきたいと存じますから、そんなふうにあなた様からもおとりなしをくださいまし」
 と大尼君に言うと、その人はぼけたふうにうなずいた。
 常の居間へ帰った浮丹は、尼君がこれまで髪を自身以外の者に梳《す》くことをさせなかったことを思うと、女房に手を触れさせるのがいやに思われるのであるが、自身ではできないことであったから、ただ少しだけ解きおろしながら、母君にもう一度以前のままの自身を見せないで終わるのかと思うと悲しかった。重い病のために髪も少し減った気が自身ではするのであるが、何ほど衰えたとも見えない。非常にたくさんで六尺ほどもある末のほうのことに美しかったところなどはさらにこまかく美しくなったようである。「たらちねはかかれとてしも」(うば玉のわが黒髪を撫《な》でずやありけん)独言《ひとりごと》に浮舟は言っていた。
 夕方に僧都が寺から来た。南の座敷が掃除《そうじ》され装飾されて、そこを円《まる》い頭が幾つも立ち動くのを見るのも、今日の姫君の心には恐ろしかった。僧都は母の尼の所へ行き、
「あれから御機嫌《ごきげん》はどうでしたか」
 などと尋ねていた。
「東の夫人は参詣《さんけい》に出られたそうですね。あちらにいた人はまだおいでですか」
「そうですよ。昨夜《ゆうべ》は私の所へ来て泊まりましたよ。身体《からだ》が悪いからあなたに尼の戒を受けさせてほしいと言っておられましたよ」
 と大尼君は語った。そこを立って僧都は姫君の居間へ来た。
「ここにいらっしゃるのですか」
 と言い、几帳《きちょう》の前へすわった。
「あの時偶然あなたをお助けすることになったのも前生の約束事と私は見ていて、祈祷《きとう》に骨を折りましたが、僧は用事がなくては女性に手紙をあげることができず、御無沙汰《ごぶさた》してしまいました。こんな人間離れのした生活をする者の家などにどうして今までおいでになりますか」
 こう僧都は言った。
「私はもう生きていまいと思った者ですが、不思議なお救いを受けまして今日《きょう》までおりますのが悲しく思われます。一方ではいろいろと御親切にお世話をしてくださいました御恩は私のようなあさはかな者にも深く身に沁《し》んでかたじけなく思われているのでございますから、このままにしていましてはまだ生き続けることができない気のいたしますのをお助けくだすって尼にしてくださいませ。ぜひそうしていただきとうございます。生きていましてもとうてい普通の身ではおられない気のする私なのでございますから」
 と姫君は言う。
「まだ若いあなたがどうしてそんなことを深く思い込むのだろう。かえって罪になることですよ。決心をした時は強い信念があるようでも、年月がたつうちに女の身をもっては罪に堕《お》ちて行きやすいものなのです」
 などと僧都は言うのであったが、
「私は子供の時から物思いをせねばならぬ運命に置かれておりまして、母なども尼にして世話がしたいなどと申したことがございます。まして少し大人になりまして人生がわかりかけてきましてからは、普通の人にはならずにこの世でよく仏勤めのできる境遇を選んで、せめて後世《ごせ》にだけでも安楽を得たいという希望が次第に大きくなっておりましたが、仏様からそのお許しを得ます日の近づきますためか、病身になってしまいました。どうぞこのお願いをかなえてくださいませ」
 浮舟の姫君はこう泣きながら頼むのであった。不思議なことである、人に優越した容姿を得ている人が、どうして世の中をいとわしく思うようになったのだろう、しかしいつか現われてきた物怪《もののけ》もこの人は生きるのをいとわしがっていたと語った。理由のないことではあるまい、この人はあのままおけば今まで生きている人ではなかったのである。悪い物怪にみいられ始めた人であるから、今後も危険がないとは思えないと僧都は考えて、
「ともかくも思い立って望まれることは御仏の善行として最もおほめになることなのです。私自身僧であって反対などのできることではありません。尼の戒を授けるのは簡単なことですが、御所の急な御用で山を出て来て、今夜のうちに宮中へ出なければならないことになっていますからね、そして明日から御修法《みしほ》を始めるとすると七日して退出することになるでしょう。その時にしましょう」
 僧都はこう言った。尼夫人がこの家に
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