分の軽率さから死なせたという責任も感じられた。母の現在の身分が身分であったから、葬式なども簡単にしてしまったのであろうと不快に思ったこともくわしく聞いたことによって、そうした想像をしたことが気の毒になり、母としてはどんなに悲しがっていることであろう、あの身分の母の子としてはりっぱ過ぎた姫君であったのを、陰のことは知らずに自分との縁により、姫君が煩悶をしたこともあったとして悲しんでいることかもしれぬなどと同情がされるのであった。穢《けが》れというものはこの家にないはずであるが、供の人たちへの手前もあって家の上へは上がらず車の榻《しじ》という台を腰掛けにして妻戸の前で今まで薫は右近と語っていたのである。これを長く続けているのも見苦しく思われて茂った木の下の苔《こけ》の上を座にしてしばらく休んでいた。もう山荘に来てみることも心を悲しくするばかりであろうから、今後来ることはないであろうと思い、その辺を見まわして、

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われもまたうきふるさとをあれはてばたれ宿り木の蔭《かげ》をしのばん
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 こんな歌を口ずさんだ。
 以前の阿闍梨《あじゃり》も今は律師になっていた。その人を呼び寄せて浮舟《うきふね》の法事のことを大将は指図《さしず》していた。念仏の僧の数を増させることなども命じたのであった。自殺者の罪の重いことを考えてその滅罪の方法も大将はとりたい、七日七日に経巻と仏像の供養をすることなども言い置いて、暗くなったのに帰って行く時、あの人がいたならば今夜は帰ることでないのであると悲しかった。尼君の所へ人をやったが、
「私と申すものが凶事のしるしのように思われまして、心をめいらせておりますこのごろは、以前よりもいっそうぼけてしまいまして、うつ伏しに寝《やす》んだままでおります」
 と言い、話しに出てこなかったので、しいて逢おうとは言わなかった。
 途《みち》すがら薫は浮舟を早く京へ迎えなかったことの後悔ばかりを覚えて、水の音の聞こえてくる間は心が騒いでしかたがなかった。遺骸だけでも捜してやることをしなかったと残念でならないのであった。どんなふうになってどこの海の底の貝殻《かいがら》に混じってしまったかと思うと遣瀬《やるせ》なく悲しいのであった。
 常陸夫人は京に産をする娘のあるために潔斎潔斎ときびしく言われる家へははいれないで、他のと
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