》しまして、前の男があとの男を殺してしまったのでございます。そして自身も姉を捨ててしまいました。お館《やかた》でもよい侍を一人なくしておしまいになったのでございます。殺したほうもよい郎党だったのですがそんな過失をしてしまった男は使わないとお国から逐《お》われてしまいました。皆女がよろしくない二心を持ったから起こったことだとお言いになりましてお館の中にも置いていただけなくなりましたので、東国人になってしまいまして、まま[#「まま」に傍点]は今でも恋しがって泣いております。罪の深いことだとこんなことも思われるのでございますよ。悪い話のついでに申すようでございますが、貴族の方でも低い身分の者でも二つに愛を分けて煩悶《はんもん》をするということは悪いことでございますよ。貴族は命のやり取りなどはなさいませんでも、死ぬにもまさった名誉の損というものがあるのですからね。かえって辛《つろ》うございます。ともかくもどちらかお一人にきめておしまいなさいましよ、宮様も殿様以上に誠意を持っておいでになるのでしたら、それでもよろしいではありませんか。さっぱりとお気持ちを清算しておしまいになりまして、あまり煩悶はせぬようになさいませ。痩《や》せて病気にまでなっておいでになってはつまらないではございませんか。奥様があれほどにもあなた様のことを御心配していらっしゃるではありませんか。私の母のまま[#「まま」に傍点]が殿様のほうへおいでになることと思い込みまして夢中になって御用意を申しておりますのを見ますと、それはやめて別の所へ行くとお言いになりますのもつらいことだろうと思います。またまま[#「まま」に傍点]がかわいそうにも思われます」
と右近が言う横から、侍従が、
「まあそんなこわい気もするほどのことを申し上げないでお置きなさいよ。こうなりましたのも皆宿命というものですよ。ただお心の中で少しでも多く愛のお感じられになる方の所へお行きになることになさいませ。ほんとうにあの御身分の方があんなにまで思い込んだふうでいらっしゃったのですもの、お引っ越しの御用意だと言って皆が騒いでいます仕事を私はいっしょにする気もしないのですよ。しばらくは隠れたままのことにしてお置きになりましても、お心のお惹《ひ》かれになる方に一生をお託しあそばすのがいいと私は思います」
と宮の御|美貌《びぼう》を愛する心から片寄った進言をする。
「なにも私はぜひ大将様のほうにと言うのではありません、どちらでもよろしゅうございますから、事が起こらずにこの問題が解決されますようにと、初瀬《はせ》、石山の観音様にも願を立てているのです。大将様の御荘園の御用をしていますのは皆武力を持った荒い人たちで、仲間が無数に宇治にいるのですからね、この山城、大和《やまと》の殿様の領地というものは皆ここの内舎人《うちとねり》といわれている人に縁故を持った人が支配しています。内舎人の婿の右近の大夫《たゆう》というのが党主のようになっていろいろのことをきめるようですよ。貴族どうしは同情のないことを相手にさせようとは思っていらっしゃらないでしょうが、思いやりのないこの辺の田舎侍《いなかざむらい》がかわるがわる宿直《とのい》に来ていますから、自身の当番の時におちどのないようにと思いまして、どんな失礼なしぐさを宮様の御微行にしかけるかわかりません。せんだっての時のことなどほんとうに今思ってもこわいようでございます。宮様のほうでは人目を思召してお付きもたくさんおつれにならないで、だれかわからぬようにしていらっしゃいますから、あの荒男どもがお見つけしましたらどんなことが起こりますかと心配ばかりいたしました」
浮舟の姫君は、自分が宮に多く心を惹《ひ》かれているときめてこの人たちのいっているのを聞くのも恥ずかしい、自分はどちらをどうとも判断もできないのに苦しんでいるのである、夢の中のようになす術《すべ》を知らないのである、はげしく自分をお思いになる方に対しては、なぜこうまでもと感激はしているが、良人《おっと》と思い、月日の長く積もった人から離れてしまおうとは思えないためにこんな煩悶がされるのである、右近が言ったように、これから表面に出て悪いことが起こってくればどうしようとつくづくと思い沈んでいた。
「私はどうしてでも死にたい、人並みでない情けない私になったのだもの、こんな情けないことは低い身分の人たちにだってたくさんないはずね」
こう言って姫君はうつ伏しになって泣く。
「そんなに御心配をなさるものではありません。お心を少しでも楽にお持ちあそばすようにと思って申し上げたことでございますよ。お心に苦しいことがありましてもお気にとめておいであそばさないようにおおようにしておいでになりましたあなた様が、この問題が起こりました時からいらいらとなさいますふうの見えますのはどうしたことでしょう」
とも右近はなだめていた。この人たちも思い乱れているのである。乳母は得意になって染めたり裁ったりしていた。新しく来た童女のかわいい顔をしたのを姫君のそばへ呼んで、
「まあこんな人でもお慰めに御覧なさいましよ。いつもお気分がすぐれないようにお寝《やす》みになっていらっしゃるのは物怪《もののけ》などがおしあわせの道を妨げようとするのかもしれませんね」
と言いながらも歎いていた。
大将からはあの返した手紙に対して言ってくることもなくそのまま幾日かたった。右近が姫君をおどすために話した内舎人という者が山荘へ現われて来た。噂《うわさ》どおりに荒々しい武骨なふうの老人が、声まで宇治の内舎人らしいこわい声で、
「もののわかる女房衆にお話がしたい」
と取り次がせたために、右近が出て行った。
「殿様からお召しがありましたので、今朝から京へまいって今が帰りです。いろいろと御用を仰せつけられましたついでに、こうしてここに奥様をお置きになっていらっしゃって、夜中でも夜明けでも御用には私らが宇治にいるのであるからと思召して、京のお邸から宿直の侍などはおよこしにならなかったところが、このごろになって、こちらの女房衆の所へよその人が通って来る話を聞いた、不届きだ、宿直に行っている者は出入りの人の名を聞いたはずだ、知らないで門を通すはずはないではないか、何という人が来たのかとこうお尋ねになったのですが、私は何も承知しないことですから、私は重い病気をしておりまして、そんなことのありましたのも、来た人はだれかということも存じません。ただしお役にたつような男はかわるがわる差し上げてあるのですから、ただ今お話のようなとんでもない事件がありますれば私の耳にはいっていぬはずはございませんとお取り次ぎをもって申していただいて来ました。気をつけて別荘を守れ、悪いことが起これば重い罰を加えるからという仰せがあったので、どんな罰にあうのかと恐れていますよ」
これを聞いていて右近は、梟《ふくろう》の啼《な》き声を聞くより恐ろしく感じた。答えもできず内舎人を帰したあとで、
「とうとうこんなことになりました。私が申していたとおりのことをお聞きになることになりました。大将様はあの秘密を皆お知りになったのですよ。お手紙もあれからまいりませんね」
などと姫君に言って歎息をした。乳母は内舎人の話を少し聞いていて、
「よく御注意をしてくださいましたわね。盗人《ぬすっと》などの多い土地だのに宿直の人だって初めほど頼もしい人は来ていなかったのですからね、代役だと言って下っぱの者をよこすようになって、その人たちというものは夜まわりをすらしないのですから」
と喜んでいた。浮舟はこうして寂しい運命のきわまっていくことを感じている時、宮から決心ができたはずであるとお言いになり、「君に逢はんその日はいつぞ松の木の苔《こけ》の乱れてものをこそ思へ」というようなことばかり書いておいでになった。どちらへ行っても残る一人に障《さわ》りのないことは望めない、自分の命だけを捨てるのが穏やかな解決法であろう、昔は恋を寄せてくる二人の男の優劣のなさに思い迷っただけでも身を投げた人もあったのである、生きておれば必ず情けないことにあわねばならぬ自分の命などは惜しくもない、母もしばらくは歎くであろうが、おおぜいの子の世話をすることで自然に自分の死のことは忘れてしまうであろう、生きていて身をあやまり、嘲笑《ちょうしょう》を浴びる人になってしまうのは、母のためには自分の死んだよりも苦しいことに違いないと浮舟は死のほうへ心をきめていった。子供らしくおおようで、なよなよと柔らかな姫君と見えるが、人生の意義というものを悟るだけの学識も与えられずに成長した人であるから自殺というような思いきったこともする気になったらしい。あとで人の迷惑になりそうな反古《ほご》類を破って、一度には処分せずある物は焼き、また水へ投げ入れさせなどしておいおいに皆なくしていった。秘密の片端も知らぬ女房などは、ほかへ移転をされるのであるから、つれづれな日送りをしておいでになる間にたまった手習いの紙などを破ってしまうのであろうと思っていた。侍従などの見つける時には、
「なぜそんなことをなさいますか。思い合った中でお取りかわしになったお手紙は、人にはお見せになるものではありませんでも、箱の底へでもしまってお置きになりまして、時々出して御覧になりますのが、どの女性にも共通した楽しいことになっておりますよ。この上もないお紙をお使いになりまして、美しい御文章でおしたためになったものを、そんなに皆お破りになりますのは情けないことではございませんか」
こんなふうに言ってとめる。
「いいのよ。私にはもう長い命はないようだからね。あとへ残ってはお書きになった方の迷惑にもなって気の毒よ。悪い趣味だ、愛人の手紙などをしまっておくなどとまたお思いになる方があっても恥ずかしいしね」
などと浮舟は言うのであった。死というものの心細い本質を思ってはまだ自殺の決行はできないらしいのももっともである。親よりも先に死んで行く人は罪が深くなるそうであるがなどとさすがに仏教の教理も聞いていて思いもするのである。
二十日過ぎにもなった。宮が交渉しておありになった家の住み主が二十八日に家をあけて立つことになっていて、
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その二十八日の夜に必ず迎えに行きます。下人などに出かけるのを悟らせぬように気をおつけなさい。自分のほうから秘密のもれるようなことは絶対にありません。疑いを持たずにいてください。
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というようなお手紙が来た。そうした無理な工作をしておいでになっても、もう一度お話をすることすら不可能でそのままお帰しすることになるのは悲しい。またどんな短時間でもこの家へお入れすることはできるものでないと思う浮舟《うきふね》が失望して自身を恨みながらお帰りになる様子を想像すると、常に去らない幻がまたありありと見えて、悲しかった。宮のお手紙を顔に押しあててしばらくは忍んで泣いていたが、そのうち声にも出してひどく泣いた。右近が、
「お姫様はこんなふうにしていらっしゃいますと人が皆悟ってしまいます。近ごろは不審を起こしかけた人たちもあるようでございます。こんなに一つのことを断ち切れない御心配になさいませんで、宮様へは御同意なさいましたことを書いておあげなさいましよ。私がおります以上、どんな大それたことでございましても取り繕いまして、こんなお小さいお身体《からだ》一つは空からでもおつれ出しいたします」
と言うのを聞いて、
「そんなふうに私の心を解釈されるのが苦しい。そうしたいと私が望んでいるのならそれでいいけれど、してはならないことだと、どんなことも皆私は否定しているのに、このお手紙のように信じていらっしゃるのかと思うと、あの方はこれからのちにまたどんなことをあそばすだろうと不安でならなくて、私は今運命を悲しんでいるのよ」
と浮舟は言い、お返事は書かなかった。
兵部卿《ひょうぶきょう》の宮は出奔してくることを浮舟が受諾して来ないし、返事さえ一つ一つは書いてよこさ
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