しようと薫はしていたのである。前駆を勤めさせる者も多く呼んでなかった。随身が取り次ぎを頼む人に、
「妙なことがあったものですから、よく調べてと思いましてただ今までかかりました」
と言っているのを片耳にはさみながら、乗車するために出て来た薫が、
「何かあったか」
と聞いた。取り次いだ人もいることであったから随身は黙ってかしこまってだけいた。様子のありそうなことであると見たが薫はこのまま出かけてしまった。
中宮《ちゅうぐう》がまた少し御病気でおありになるということで宮達も皆集まって来ておいでになった。高官たちもたくさんまいっていて騒いでいたがたいしたことはおありにならなかった。内記は太政官の吏員であったから、役向きのことが忙しかったのかおそくなって出て来た。そして宇治の返事の来たのを宮に、台盤所《だいばんどころ》へ来ておいでになって戸口へお呼びになった宮へ差し上げていたのをちょうどその時中宮の御前から出て来た大将が何心なく横目に見て、大事な恋人からよこしたものらしい文《ふみ》であるとおかしく思い、ちょっと立ちどまっていた。宮は引きあけて読んでおいでになる、紅の薄様《うすよう》に細かく書かれた手紙のようである。文に夢中になっておいでになる時に、左大臣も御前を立って外のほうへ歩いて来るのを見て、薫は自身の休息室から今出るふうにして大臣の来たことを宮へ御注意するための咳《せき》払いをした。これで宮がお隠しになったあとへ都合よく大臣は来ることになった。宮は驚いたふうに直衣《のうし》の紐《ひも》を掛けておいでになった。薫も兄の大臣の前に膝《ひざ》を折り、
「私はもう下がってまいろうと思います。いつもの物怪《もののけ》は久しく禍《わざわい》をいたしませんでしたのに恐ろしいことでございます。叡山《えいざん》の座主《ざす》をすぐ呼びにやりましょう」
とだけ言い、忙しそうに立って行った。
夜のふけたころだれも皆六条院から退出した。左大臣は宮をお先立てして幾人もの子息の高官、殿上人を率いていて東の御殿へ行った。右大将はそれに少し遅れて自邸へ帰るのであった。随身が告げることのありそうなふうであったのを怪しく思っていたから、前駆の人たちなどが馬からおりて炬火《たいまつ》に火をつけさせたりしている時に、薫は随身を近くへ呼んだ。
「さっきの話はどんなことか」
「今朝《けさ》宇治に出雲権守時方朝臣《いずもごんのかみときかたあそん》の所におります侍が来ておりまして、紫の薄様に書いて桜の枝につけられました手紙を西の妻戸から女房に渡しているのを見ましてございます。見つけまして何かと聞きただしますと、申すことが作りごとらしいものでございますから、信用はできないと存じまして、小侍をそっとつけてやりますと、兵部卿の宮のお邸へまいり、式部|少輔《しょう》にその返事を渡したそうでございます」
と言う。薫は不思議なことであると思い、
「その返事をあちらではどんなふうにして出したか」
「それは見なかったのでございます。別の戸口から出して渡したらしいのでございます。下人から聞きますと赤い色紙のきれいなものだったと申すことです」
この言葉から思い合わせると、宮の見ておいでになった文がそれに相違ないと薫は思った。そんなにまで苦心をして調べ出して来たのは気のきいた男であると思ったが、人がすでに集まって来ていたからそれ以上の細かいことは言わせずに済ませた。
薫は車で来る途々《みちみち》の話を思い、恐ろしいほど異性に対しては神経の過敏に働く宮である、どんな機会にあの人のことをお知りになったのであろう、そしてどうして誘惑をお始めになったのであろう、あの田舎《いなか》の宇治に住ませてあれば、そうした危険には隔離されているもののように思い、安心していたのはなんたる自分の幼稚な考え方であったろう、それにしても互いに知らぬ人の愛人と恋愛の遊戯をすることも世間にはあるであろうが、自分と宮とは親友の間柄で、人が怪しむほどにも助けられ、お助けして恋の媒介をすら勤めた自分の愛人を誘惑などあそばされてよいわけはないと思うと不快でならなかった。西の対の夫人を非常に恋しく思いながら、ある線を越えて行かない自分はりっぱでないか、しかも親密にするのは宮家へはいってからの夫人としてではない、宮に対してやましい思いをお持ちするのがいやで、恋しい心を抑制しているのは愚かなことであったかも知れぬ、ずっとこのごろ宮は御病気のようで始終お見舞いの人々に取り巻かれておいでになりながら、どうして宇治へのお手紙は書かれたのであろう、またどうしてお通いになることができたのであろう、遠くはるかな恋の道ではないか、だれにも想像のつかぬ所へ行ってお泊まりになることがあり、所在を捜されておいでになる時があるという御評判も聞いた、罪
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