もありませんのにね、ひどくすごい所に長く置いておおきになったのですもの、大将さんが同情して京へ迎えてくださるのがもっともですよ」
 そう言う常陸夫人は得意そうであった。女房たちも川の水勢の荒いことなどを言い合い、
「先日も渡守《わたしもり》の孫の子供が舟の棹《さお》を差しそこねて落ちてしまったそうです。人がよく死ぬ水だそうでございます」
 などと言っていた。
 浮舟の姫君は今思っているように自分が行くえを不明にして死んでしまえば、親もだれも当分は力を落として悲しがるであろうが、生きていて世間の物笑いに自分がされるようであればその時の悲しみは短時日で済まず永久に続くことであろう、死ぬほうがよいと考えてみると、そのほうには故障があるとは思えず快く決行のできる気になるもののまた悲しくはあった。母の愛情から出る言葉を寝たようにして聞きながら浮舟は思い乱れていた。いたましいふうに痩せてしまったことを乳母にも言い、適当な祈祷《きとう》をさせてほしいと言い、祭や祓《はらい》などのことについても命じるところがあった。「恋せじと御手洗《みたらし》川にせし禊《みそぎ》神は受けずもなりにけらしな」そんな禊もさせたい人であるのを知らない人たちがいろいろに言って騒いでいるのである。
「女房の数が少ないようですね。確かに信用のできる人を捜しておくことですね。見ず知らずの女は当分雇わないことにしなさいよ。りっぱな方の奥様どうしというものは、御本人たちは寛大な態度をとっていらっしゃっても、嫉妬《しっと》はどこにもあるわけでね、お付きの者のことなどからよくないことも起こりますからね、悪いきっかけというようなものを作らないように女たちには気をおつけなさいよ」
 などと、注意のし残しもないように言い置いてから、
「家で寝ている人も気がかりだから」
 と言い、母の帰ろうとするのを、物思いの多い心細い浮舟は、もうこれかぎり逢うこともできないで死ぬのかと悲しんだ。
「身体《からだ》の悪い間はお目にかからないでいるのが心細いのですから、私はしばらくでも家のほうへ行きとうございます」
 別れにくそうに言うのであった。
「私もそうさせたいのだけれど、家《うち》のほうも今は混雑しているのですよ。あなたに付いている人たちもあちらへ移る用意の縫い物などを家ではできませんよ、狭くなっていてね。『武生《たけふ》の国府《こふ》に』(われはありと親には申したれ)においでになっても、私はそっと行きますよ。つまらぬ身の上ですから、それだけはあなたのために遠慮されますがね」
 と母は泣きながら言っていた。
 薫《かおる》からまたも手紙の使いが来た。病気と聞いて今日はどうかと尋ねて来たのである。
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自身で行きたいのですが、いろいろな用が多くて実行もできません。近いうちにあなたを迎えうることになって、かえって時間のたつことのもどかしさに気のあせるのを覚えます。
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 こんなことも書かれてあった。
 兵部卿《ひょうぶきょう》の宮は昨日の手紙に返事のなかったことで、
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まだ迷っているのですか、「風の靡《なび》き」(にけりな里の海人《あま》の焚《た》く藻《も》の煙心弱さに)のたよりなさに以前よりもいっそうぼんやりと物思いを続けています。
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 などとこのほうは長かった。この前の前、雨の降った日に山荘で落ち合った使いがまたこの日出逢うことになって、大将の随身は式部|少輔《しょう》の所でときどき見かける男が来ているのに不審を覚えて、
「あんたは何の用でたびたびここへ来るのかね」
 と訊《き》いた。
「自分の知った人に用があるもんだから」
「自分の知った人に艶《えん》な恰好《かっこう》の手紙などを渡すのかね。理由《わけ》がありそうだね、隠しているのはどんなことだ」
「真実《ほんとう》は守《かみ》(時方は出雲権守《いずものごんのかみ》でもあった)さんの手紙を女房へ渡しに来るのさ」
 随身は想像と違ったこの答えをいぶかしく思ったがどちらも山荘を辞して来た。随身は利巧《りこう》者であったから、つれて来ている小侍に、
「あの男のあとを知らぬ顔でつけて行け、どの邸《やしき》へはいるかよく見て来い」
 と命じてやった。さきの使いは兵部卿の宮のお邸へ行き、式部少輔に返事の手紙を渡していたと小侍は帰って来て報告した。それほどにしてうかがわれているとも宮のほうの侍は気がつかず、またどんな秘密があることとも知らなかったので近衛《このえ》の随身に見あらわされることになったのである。
 随身は大将の邸へ行き、ちょうど出かけようとしている薫に、返事を人から渡させようとした。今日は直衣《のうし》姿で、六条院へ中宮が帰っておいでになるころであったから伺候
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