りにも恋いこがれておいでになりますお気の毒な宮様をお見上げしては、だれだって自身のことなどはどうなってもいいという気になりますよ。宮様のお言いつけはよくわかりました。宿直《とのい》の人も皆起きましたから」
と言い、すぐに去って行った。右近は宮がとどまっておいでになるのをどう取り繕えばいいだろうと苦しんだ。起き出して来た女房たちに、
「殿様は理由《わけ》があって、今日は絶対にお姿をだれにもお見せになりたくない思召しなんですよ。途中で災難におあいになったらしい。お召し物などを今夜になってからそっとお届けさせるようにお供へお命じになるお取り次ぎを今私はしましたよ」
などと言った。女房の一人が、
「まあこわいこと。木幡《こばた》山という所はそんな所ですってね。いつものように先払いもさせずにお忍びでお出かけになったからですよ。たいへんなことだったのですね。お気の毒な」
と言うのを、
「まあ静かにお言いなさいよ。ここの下の侍衆が聞けば、それからまたどんなことを起こすかしれませんから」
こうまた言う右近の心の中では嘘《うそ》を語るのが恐ろしかった。あやにくにこんな時に大将からの使いが来たなら、家の中の人へどうまた自分は言うべきであろうと右近は思い、初瀬《はせ》の観音様、今日一日が無事で過ぎますようにと大願を立てた。石山寺へ参詣《さんけい》させようとして母の夫人から迎えがよこされることになっている日なのである。右近をはじめ供をして行く者は前日から精進潔斎《しょうじんけっさい》をしていたので、
「では今日はおいでになれなくなったのですわね。残念なことですね」
とも言っていた。
八時ごろになって格子などを上げ、右近が姫君の居間の用を一人で勤めた。その室の御簾《みす》を皆下げて、物忌《ものいみ》と書いた紙をつけたりした。母夫人自身も迎えに出て来るかと思い、姫君が悪夢を見て、そのために謹慎をしているとその時には言わせるつもりであった。
寝室へ二人分の洗面盥《せんめんだらい》の運ばれたというのは普通のことであるが、宮はそんな物にも嫉妬《しっと》をお覚えになった。薫が来て、こうした朝の寝起きにこの手盥で顔を洗うのであろうとお思いになるとにわかに不快におなりになり、
「あなたがお洗いになったあとの水で私は洗おう。こちらのは使いたくない」
とお言いになった。今まで感情をおさえて冷静
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