源氏物語
浮舟
紫式部
與謝野晶子訳
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)兵部卿《ひょうぶきょう》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)それ以来|兵部卿《ひょうぶきょう》の
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地から3字上げ]
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[#地から3字上げ]何よりも危ふきものとかねて見し小舟の
[#地から3字上げ]中にみづからを置く (晶子)
兵部卿《ひょうぶきょう》の宮は美しい人をほのかに御覧になったあの秋の夕べのことをどうしてもお忘れになることができなかった。たいした貴族の娘ではないらしかったが婉嬋《えんぜん》とした美貌《びぼう》の人であったと、好色な方であったから、それきり消えるようにいなくなってしまったことを残念でたまらぬように思召《おぼしめ》しては、夫人に対しても、
「何でもない恋の遊戯をしようとするくらいのことにもあなたはよく嫉妬《しっと》する、そんな人とは思わなかったのに」
こんなふうにお言いになり、怨《うら》みをお洩《も》らしになるおりおり、中の君は苦しくてありのままのことを言ってしまおうとも思わないではなかったが、妻の一人としての待遇はしていないにもせよ軽々しい情人とは思わずに愛して、世間の目にはつかぬようにと宇治へ隠してある妹の姫君のことを、お話ししても宮の御性情ではそのままにしてお置きにはなれまい、女房にでもそうした関係を結びたくおなりになった人の所へは無反省にそうした人の実家へまでもお出かけになるような多情さがおありになるのであるから、これはまして相当に月日もたつ今になっても思い込んでお忘れになれない相手であっては、必ず醜い事件をお起こしになるであろう、ほかから聞いておしまいになればそれはしかたがない、大将のためにも姫君のためにも不幸になるのを知っておいでになっても、それに遠慮のおできになる方ではないから、そうした場合に姫君が他人でない点で、自分は多く恥を覚えることであろう、何にもせよ自分のあやまりから悪いほうへ運命の進む動機は作るまいと反省して、宮の恋に同情はしながらも姫君の現在の境遇を語ろうとしなかった。上手《じょうず》な嘘《うそ》で繕うことはできない性質であったから、表面は良人《おっと》を恨み、深い嫉妬を内に抱いている世間並みの妻に見られているほかはな
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