待《もてなし》ぶりをしたのを、卑しい従者らは大恩恵に逢《あ》ったように思って喜んだから、主人の少将もけっこうなことに思い、りこうな舅《しゅうと》の持ち方をしたと喜んだ。常陸夫人はこの儀式のある間は外へ出て行くのも意地の悪いことに思われるであろうと我慢をして、ただ父親がするままを見ていた。婿君の昼の座敷、侍の詰め所というような室《へや》を幾つも用意するために、家は広いのであるが、長女の婿の源少納言が東の対《たい》を使っていたし、そのほかに男の子も多いのであるから空室《あきま》もなくなった。今まで姫君のいた座敷へ四日めからは婿が住み着くことになっていては、廊座敷などという軽々しい所へ姫君を置くのはどうしても哀れでしんぼうのならぬことと夫人に思われて、考えあぐんだ末に中の君へ預けようとしたのである。だれもが八の宮の三女として姫君を見ないところから、私生児として軽蔑《けいべつ》するのであろうと思い、お認めにならなかった宮の御娘の女王《にょおう》の所を選んでしいて姫君の隠れ場所にしたのであった。
姫君には乳母《めのと》と若い女房二、三人がついて来た。西向きの座敷の北にあたった所を部屋に与えられた。長い間遠く離れていた間柄ではあるが、母方の血縁のある常陸夫人であったから、来た時には中の君も他人扱いにはせず、顔を見せずに隠れて話すようなこともせず、親王夫人らしい気品を持って、若君の世話などをする様子も近く見せられるのを、わが娘に比べて常陸夫人がうらやましく思うのも哀れである。自分も八の宮夫人と家柄の懸隔のあるわけではない、叔母《おば》と姪《めい》だったのではないか、女房になって仕えていたという点で、自分の生んだ姫君は宮の女王の一人に数えられず私生児として今度のように、露骨に人から軽侮の態度をとられることにもなったと思う心から、こんなふうにしいて親しみ寄ろうとするのも悲しい心である。
その一室には物忌《ものいみ》という札が貼《は》られ、だれも出入りをしなかった。常陸夫人も二、三日姫君に添ってそこにいた。以前の訪問の時と違い、今度はこんなふうでゆるりと二条の院の生活を昔の中将は観察することができた。
兵部卿《ひょうぶきょう》の宮が二条の院へおいでになった。好奇心から常陸夫人は物の間からのぞいて見るのであったが、宮は非常にお美しくて、折った桜の枝のような風采《ふうさい》をしておい
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