右が左に移り、右大将が親補されたのである。新任の挨拶《あいさつ》にほうぼうをまわった薫は、兵部卿《ひょうぶきょう》の宮へもまいった。夫人が悩んでいる時であって、宮は二条の院の西の対においでになったから、こちらへ薫は来たのであった。僧などが来ていて儀礼を受けるには不都合な場所であるのにと宮はお驚きになり、新しいお直衣《のうし》に裾《すそ》の長い下襲《したがさね》を召してお身なりをおととのえになって、客の礼に対する答《とう》の拝礼を階下へ降りてあそばされたが、大将もりっぱであったし、宮もきわめてごりっぱなお姿と見えた。この日は右近衛府《うこんえふ》の下僚の招宴をして纏頭《てんとう》を出すならわしであったから、自邸でとは言っていたが、近くに中の君の悩んでいる二条の院があることで少し躊躇《ちゅうちょ》していると、夕霧の左大臣が弟のために自家で宴会をしようと言いだしたので六条院で行なった。皇子がたも相伴の客として宴にお列《つらな》りになり、高級の官吏なども招きに応じて来たのが多数にあって、新任大臣の大饗宴《だいきょうえん》にも劣らない盛大な、少し騒がし過ぎるほどのものになった。兵部卿の宮も出ておいでになったのであるが、夫人のことがお気づかわしいために、まだ宴の終わらぬうちに急いで二条の院へお帰りになったのを、左大臣家の新夫人は不満足に思い、ねたましがった。同じほどに愛されているのであるが権家の娘であることに驕《おご》っている心からそう思われたのであろう。
 ようやくその夜明けに二条の院の夫人は男児を生んだ。宮も非常にお喜びになった。右大将も昇任の悦《よろこ》びと同時にこの報を得ることのできたのをうれしく思った。昨夜の宴に出ていただいたお礼を述べに来るのとともに、御男子出産の喜びを申しに、薫は家へ帰るとすぐに二条の院へ来たのであった。
 兵部卿の宮がそのままずっと二条の院におられたから、お喜びを申しに伺候しない人もなかった。産養《うぶやしない》の三日の夜は父宮のお催しで、五日には右大将から産養を奉った。屯食《とんじき》五十具、碁手《ごて》の銭、椀飯《おうばん》などという定まったものはその例に従い、産婦の夫人へ料理の重ね箱三十、嬰児《えいじ》の服を五枚重ねにしたもの、襁褓《むつき》などに目だたぬ華奢《かしゃ》の尽くされてあるのも、よく見ればわかるのであった。父宮へも浅香木の折敷《
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