身も寂しい来し方を思い出し、あのはなやかな人たちの世界の一隅《いちぐう》を占めることは不可能な影の淡《うす》い身の上であることがいよいよ心細く思われて、やはり自分は宇治へ隠退してしまうのが無難であろうと考えられるのであった。
 日は早くたち年も暮れた。一月の終わりから普通でない身体の苦痛を夫人は感じだしたのを、宮もまだ産をする婦人の悩みをお見になった御経験はなかったので、どうなるのかと御心配をあそばして、今まで祈祷《きとう》などをほうぼうでさせておいでになった上に、さらにほかでも修法を始めることをお命じになった。非常に容体が危険に見えたために中宮《ちゅうぐう》からもお見舞いの使いが来た。中の君が二条の院へ迎えられてから足かけ三年になるが、御|良人《おっと》の宮の御愛情だけはおろそかなものでないだけで、一般からはまだ直接親王夫人に相当する尊敬は払われていなかったのに、この時にはだれも皆驚いて見舞いの使いを立て、自身でも二条の院へ来た。
 源中納言は宮の御心配しておいでになるのにも劣らぬ不安を覚えて、気づかわしくてならないのであっても、表面的な見舞いに行くほかは近づいて尋ねることもできずに、ひそかに祈祷などをさせていた。この人の婚約者の女二《にょに》の宮《みや》の裳着《もぎ》の式が目前のことになり、世間はその日の盛んな儀礼の用意に騒いでいる時であって、すべてを帝《みかど》御自身が責任者であるようにお世話をあそばし、これでは後援する外戚《がいせき》のないほうがかえって幸福が大きいとも見られ、亡《な》き母君の藤壺《ふじつぼ》の女御《にょご》が姫宮のために用意してあった数々の調度の上に、宮中の作物所《つくりものどころ》とか、地方長官などとかへ御下命になって作製おさせになったものが無数にでき上がってい、その式の済んだあとで通い始めるようにとの御内意が薫へ伝達されている時であったから、婿方でも平常と違う緊張をしているはずであるが、なおいままでどおりにそちらのことはどうでもいいと思われ、中の君の産の重いことばかりを哀れに思って歎息を続ける薫であった。
 二月の朔日《ついたち》に直物《なおしもの》といって、一月の除目《じもく》の時にし残された官吏の昇任更任の行なわれる際に、薫は権《ごん》大納言になり、右大将を兼任することになった。今まで左大将を兼ねていた右大臣が軍職のほうだけを辞し、
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