私が熱心に見てやらなくなってもう長くなりますからね。現在家の者の弾いているものは皆前の川の波音を標準にして稽古《けいこ》をしているだけの我流の芸にすぎません。むろん普通の拍子には合わないものになっているのですよ」
 そのあとで、
「箏《そう》の琴をお弾きなさい」
 と姫君の居間のほうへ言っておやりになったが、
「何も知らずに弾いていたのを、聞かれただけでも恥ずかしいのに、公然とまずいものをお聞かせできるものでない」
 女王は二人とも弾くのを肯《がえん》じない。父宮はたびたび勧めにおやりになったが、何かと口実を作って断わり、弾こうと姫君たちのしないのを薫は残念に思った。宮は片親でお育てになった姫君たちが素直にお言葉どおりのことをしないのを恥ずかしく思召すふうであった。
「女の子供のいることをなるべく人に知らせたくないと思ってね、私はだれも頼まずに自分の手だけで教育もしてきたのですが、もういつどうなるかもしれぬ命になってみると、さすがにまだ若い者は将来どんなふうにおちぶれてしまうことかと、その気がかりだけがこの世を辞して行く際の道の障《さわ》りになる気がするのです」
 とお言いになるのに、薫は心苦しいことであると同情された。
「表だちました責任者になりませんでも、私の力でお尽くしのできますことだけは私がいたしますから、御信用くだすっていいと存じております。しばらくでもあなた様よりあとに残って生きているといたしますれば、こうしたお言葉をいただきました以上、決してたがえることはいたしません」
 薫がこう申し上げると、
「非常にうれしいことです」
 と宮はお言いになった。
 明け方のお勤めを仏前で宮のあそばされる間に、薫は先夜の老女に面会を求めた。これは姫君方のお世話役を宮がおさせておいでになる女で、弁の君という名であった。年は六十に少し足らぬほどであるが、優雅なふうのある女で、品よく昔の話をしだした。柏木《かしわぎ》が日夜|煩悶《はんもん》を続けた果てに病を得て、死に至ったことを言って非常に弁は泣いた。他人であっても同情の念の禁じられないことであろうと思われる昔話を、まして長年月の間、真実のことが知りたくて、自分が生まれてくるに至った初めを、仏を念じる時にも、まずこの真実を明らかに知らせたまえと祈った効験でか、こうして夢のように、偶然のめぐり合わせで肉身のことが聞かれたと思っている薫には涙がとめどもなく流れるのであった。
「それにしてもその昔の秘密を知っている人が残っておいでになって、驚くべく恥ずかしい話を私に聞かせてくださるのですが、ほかにもまだこのことを知っている人があるでしょうか。今日まで私はその秘密の片端すらも聞くことがありませんでしたが」
 と薫は言った。
「小侍従と私のほかは決して知っている者はございません。また一言でも私から他人に話したこともございません。こんなつまらぬ女でございますが、夜昼おそばにお付きしていたものですから、殿様の御様子に腑《ふ》に落ちぬところがありまして、私が真実のことをお悟りすることになりましてからは、お苦しみのお心に余りますような時々には、私から小侍従へ、小侍従から私と言うことにしまして、たまさかのお手紙をお取りかわしになりました。失礼になってはなりませんからくわしいことは申し上げません。殿様の御容体が危篤になりましてから、私へほんの少しの御遺言があったのでございますが、私|風情《ふぜい》ではどうしてそれをあなた様にお伝え申し上げてよろしいか方法もつきませんで、仏に念誦《ねんず》をいたします時にも、そのことを心に持ってしておりましたために、あなた様にこのお話ができることになりまして、仏様の存在もまた明らかになりました。お目にかける物もあるのでございます。お渡しいたすことができません以上はもう焼いてしまおうかとも存じました。危うい命の老人が持っていまして、歿後《ぼつご》に落ち散ることになってはならぬと気がかりにいたしながら、この宮へ時々あなた様が御訪問においでになることがあるようになりましてからは、これはよい機会が与えられるかもしれぬと頼もしくなりまして、今日《きょう》のようなおりの早く現われてまいりますようにと、念じておりました力はえらいものでございますね。人間がなしえたこととこれは思われません」
 弁は泣く泣く薫の生まれた時のこともよく覚えていて話して聞かせた。
「大納言様がお亡《かく》れになりました悲しみで私の母も病気になりまして、その後しばらくして亡《な》くなりましたものですから、二つの喪服を重ねて着ねばならぬ私だったのでございます。そのうち長く私のことをかれこれと思っていた者がございまして、だましてつれ出されました果ては西海の端までもつれて行きましてね、京のことはいっさいわからない境遇に置
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