かれていますうちに、その人もそこで亡くなりましてから、十年めほどの、違った世界の気がいたしますような京へ上ってまいったのでございますが、こちらの宮様は私の父方の縁故で童女時代に上がっていたことがあるものですから、もうはなやかな所へお勤めもできない姿になっております私は、冷泉《れいぜい》院の女御《にょご》様などの所へ、大納言様の続きでまいってもよろしかったのでございますが、それも恥ずかしくてできませんで、こうして山の中の朽ち木になっております。小侍従はいつごろ亡くなったのでございましょう。若盛りの人として記憶にございます人があらかた故人になっております世の中に、寂しい思いをいたしながら、さすがにまだ死なれずに私はおりました」
弁が長話をしている間に、この前のように夜が明けはなれてしまった。
「この昔話はいくら聞いても聞きたりないほど聞いていたく思うことですが、だれも聞かない所でまたよく話し合いましょう。侍従といった人は、ほのかな記憶によると、私の五、六歳の時ににわかに胸を苦しがりだして死んだと聞いたようですよ。あなたに逢うことができなかったら、私は肉親を肉親とも知らない罪の深い人間で一生を終わることでした」
などと薫は言った。小さく巻き合わせた手紙の反古《ほご》の黴《かび》臭いのを袋に縫い入れたものを弁は薫に渡した。
「あなた様のお手で御処分くださいませ。もう自分は生きられなくなったと大納言様は仰せになりまして、このお手紙を集めて私へくださいましたから、私は小侍従に逢いました節に、そちら様へ届きますように、確かに手渡しをいたそうと思っておりましたのに、そのまま小侍従に逢われないでしまいましたことも、私情だけでなく、大納言のお心の通らなかったことになりますことで私は悲しんでおりました」
弁はこう言うのであった。薫はなにげなくその包を袖《そで》の中へしまった。こうした老人は問わず語りに、不思議な事件として自分の出生の初めを人にもらすことはなかったであろうかと、薫は苦しい気持ちも覚えるのであったが、かえすがえす秘密を厳守したことを言っているのであるから、それが真実であるかもしれぬと慰められないでもなかった。
山荘の朝の食事に粥《かゆ》、強飯《こわめし》などが出された。昨日《きのう》は休暇が得られたのであるが、今日は陛下の御謹慎日も終わって、平常どおりに宮中の事務を執らねばならないことであろうし、また冷泉院の女一《にょいち》の宮《みや》の御病気もお見舞い申し上げねばならぬことで、かたがた京へ帰らねばならぬ、近いうちにもう一度|紅葉《もみじ》の散らぬ先にお訪ねするということを、薫は宮へ取り次ぎをもって申し上げさせた。
「こんなふうにたびたびお訪ねくださる光栄を得て、山蔭《やまかげ》の家も明るくなってきた気がします」
と宮からの御|挨拶《あいさつ》も伝えられた。
薫は自邸に帰って、弁から得た袋をまず取り出してみるのであった。支那《しな》の浮き織りの綾《あや》でできた袋で、上という字が書かれてあった。細い組み紐《ひも》で口を結んだ端を紙で封じてあるのへ、大納言の名が書かれてある。薫はあけるのも恐ろしい気がした。いろいろな紙に書かれて、たまさか来た女三の宮のお手紙が五、六通あった。そのほかには柏木《かしわぎ》の手で、病はいよいよ重くなり、忍んでお逢《あ》いすることも困難になったこの時に、さらに見たい心の惹《ひ》かれる珍しいことがそちらには添っている、あなたが尼におなりになったということもまた悲しく承っているというようなことを檀紙《だんし》五、六枚に一字ずつ鳥の足跡のように書きつけてあって、
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目の前にこの世をそむく君よりもよそに別るる魂《たま》ぞ悲しき
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という歌もある。また奥に、
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珍しく承った芽ばえの二葉を、私|風情《ふぜい》が関心を持つとは申されませんが、
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命あらばそれとも見まし人知れず岩根にとめし松の生《お》ひ末
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よく書き終えることもできなかったような乱れた文字でなった手紙であって、上には侍従の君へと書いてあった。蠹《しみ》の巣のようになっていて、古い黴《かび》臭い香もしながら字は明瞭《めいりょう》に残って、今書かれたとも思われる文章のこまごまと確かな筋の通っているのを読んで、実際これが散逸していたなら自分としては恥ずかしいことであるし、故人のためにも気の毒なことになるのであった、こんな苦しい思いを経験するものは自分以外にないであろうと思うと薫の心は限りもなく憂鬱《ゆううつ》になって、宮中へ出ようとしていた考えも実行がものうくなった。母宮のお居間のほうへ行ってみると、無邪気な若々しい御様子で経を読
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