としても、さしあたっては何の引け目もなしにどこへでもお出しになっただろうがね」
 と尚侍《ないしのかみ》が言いだしたために、めいった空気に満ちてきたのもぜひないことである。
 中将などが立って行ったあとで、姫君たちは打ちさしておいた碁をまた打ちにかかった。昔から争っていた桜の木を賭《か》けにして、
「三度打つ中で、二度勝った人の桜にしましょう」
 などと戯れに言い合っていた。
 暗くなったので勝負を縁側に近い所へ出てしていた。御簾《みす》を巻き上げて、双方の女房も固唾《かたず》をのんで碁盤の上を見守っている。ちょうどこの時にいつもの蔵人《くろうど》少将は侍従の所へ来たのであったが、侍従は兄たちといっしょに外へ出たあとであったから、人気《ひとけ》も少なく静かな邸《やしき》の中を少将は一人で歩いていたが、廊《わたどの》の戸のあいた所が目について、静かにそこへ寄って行って、のぞいて見ると、向こうの座敷では姫君たちが碁の勝負をしていた。こんな所を見ることのできたことは、仏の出現される前へ来合わせたと同じほどな幸福感を少将に与えた。夕明りも霞《かす》んだ日のことでさやかには物を見せないのであるが、つくづくとながめているうちに、桜の色を着たほうの人が恋しい姫君であることも見分けることができた。「散りなんのちの」という歌のように、のちの形見にも面影をしたいほど麗艶《れいえん》な顔であった。いよいよこの人をほかへやることが苦しく少将に思われた。若い女房たちの打ち解けた姿なども夕明りに皆美しく見えた。碁は右が勝った。
「高麗《こま》の乱声《らんじょう》(競馬の時に右が勝てば奏される楽)がなぜ始まらないの」
 と得意になって言う女房もある。
「右がひいきで西のお座敷のほうに寄っていた花を、今まで左方に貸してお置きあそばしたきまりがつきましたのですね」
 などと愉快そうに右方の者ははやしたてる。少将には何があるのかもよくわからないのであるが、その中へ混じっていっしょに遊びたい気のするものの、だれも見ないと信じている人たちの所へ出て行くことは無作法であろうと思ってそのまま帰った。
 もう一度だけああした機会にあえないであろうかと、少将はそののちも恋人の邸をうかがい歩いた。
 姫君たちは毎日花争いに暮らしているのであったが、風の荒く吹き出した日の夕方に梢《こずえ》から乱れて散る落花を、惜しく残念に思って、負け方の姫君は、

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桜ゆゑ風に心の騒ぐかな思ひぐまなき花と見る見る
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 こんな歌を作った。そのほうにいる宰相の君が、

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咲くと見てかつは散りぬる花なれば負くるを深き怨《うら》みともせず
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 と慰める。右の姫君、

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風に散ることは世の常枝ながらうつろふ花をただにしも見じ
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 右の女房の大輔《たゆう》、

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心ありて池の汀《みぎは》に落つる花|泡《あわ》となりてもわが方に寄れ
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 勝ったほうの童女が庭の花の下へ降りて行って、花をたくさん集めて持って来た。

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大空の風に散れども桜花おのがものぞと掻《か》き集《つ》めて見る
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 左の童女の馴君《なれき》がそれに答えて、

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「桜花|匂《にほ》ひあまたに散らさじとおほふばかりの袖《そで》はありやは
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 気が狭いというものですね」
 などと悪く言う。
 そんなことをしているうちにずんずん月日のたっていくことも妙齢の娘たちを持っている尚侍を心細がらせて、一人で姫君たちの将来のことばかりを考えていた。
 院からは毎日のように御催促の消息をお送りになった。女御《にょご》からも、
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私を他人のようにお思いになるのですか。院は、私が中ではばんでいるように憎んでおいでになりますから、それはお戯れではあっても、私としてつらいことですから、できますならなるべく近いうちにそのことの実現されますように。
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 こんなふうに懇切に言って来た。それが宿命であるために、こうまでお望みになるのであろうから、御辞退するのはもったいないと尚侍は考えるようになった。手道具類は父の大臣がすでに十分の準備をしておいたのであるから、新しく作らせる必要もなくて、ただ女房の装束類その他の簡単な物だけを、娘の院参のために玉鬘夫人は用意していた。姫君の運命が決せられたことを聞いて、蔵人少将は死ぬほど悲しんで、母の夫人にどうかしてほしいと責めた。夫人は困って、
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私の出てまいる問題でないことに私が触れますのも、盲目的な親の愛からでございます。この気持ちを御理解してくださいますならば、なんとか子供の心を慰むるようにお計らいくださいませんか。
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 などといたいたしく訴えて来たのを、尚侍は、
「気の毒で困ってしまうばかり」
 と歎息《たんそく》をしながら、
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どの道をとりますことが娘の幸福であるかもわからないのですが、院からの仰せがたびたびになるものですから、私は思い悩んでいます。御愛情をお持ちくださるなら、しばらくお忍びくだすって、慰安の方法を私が講じますのを待ってもらいますことが、世間体もよろしいかと思われます。
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 こんな返事を書いたのは、姉君の院参を済ませてから妹を与えたいという考えらしい。同時にそれをするのも世間へ見せびらかすようなことにもなるし、少将の官をも少し進ませてからにしたほうがいいからと、こんなふうに玉鬘《たまかずら》夫人は思っているのであったが、男はこの望みどおりに妹の姫君へ恋を移すのは不可能に思っているのである。ほのかに顔を見てからは面影に立つほど恋しくて、どんな日にこの人をまた見ることができるであろうかとばかり歎《なげ》いているのであったから、もう望みのないこととしてあきらめねばならぬことになったのを非常に悲しんだ。今さら何のかいもあることではなくても、なお自分の気持ちだけは通じておきたいと思って、少将が侍従の部屋《へや》へ訪《たず》ねて行くと、その時侍従は源侍従から来た手紙を読んでいたのであって、隠してしまおうとするのを、少将は奪い取ってしまった。秘密があるように思われたくもないと思って、侍従はしいて取り返そうとはしなかった。それは表面にそのことは言わずに、ただなんとなく人生が暗くなったというようなことばかりの書かれた手紙であった。

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つれなくて過ぐる月日を数へつつ物|怨《うら》めしき春の暮れかな
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 ともある。こんなふうに、余裕のある恨み方をするだけで足りている人もある。自分があまりに無我夢中になって恋にあせることが一つはこの家の人に好感を与えなかったのであろうと、少将はこんなことを思ってさえも胸の痛くなるのを覚えるために、あまり侍従とも話をせずに、親しくする女房の中将の君の部屋のほうへ歩いて行きながらも、これもむだなことに違いないと歎息ばかりをしていた。侍従が源侍従へ書く返事の相談をするために、母の所へ出て行くのを見ても少将は腹がたつのであった。若い人であるから失恋の悲しみに落ちては救われようもなくなったようにばかり思うのだった。
 見苦しいほどにも恨めしがり、悲しがって言い続ける少将の相手になっている中将の君は、いたましく思って返辞もあまりできないのであった。碁の勝負のあった夕方に隙見《すきみ》をしたことも少将は言いだして、
「せめてあの瞬間の楽しさだけでも、もう一度経験したい。何を目的にして今後私は生きて行くのでしょう。けれど先はもう短い気のする私ですよ。無情も情けであるというように、死んでしまえるならかえってこれがよかったかもしれませんね」
 まじめにこんなことを言うのである。同情はしていても、何とも慰める言葉のないことではないかと中将の君は思うのであった。夫人が姉君に代えて二女を許そうとしていることが少しもうれしいふうでないのは、あの桜の夕べにあけ放された座敷までことごとくこの人は見ることができたために、こうした病的なまでの恋を一人の姫君に寄せるようになったのであろうと思うと、道理にも思えた。
「姫君がお聞きになりましたら、いっそうけしからん考えを持っておいでになるとお思いになって、御同情が減るでしょう。私のお気の毒に思っておりました気持ちも、もうなくなりましたよ。むちゃなことばかりお言いになるから」
 正面から中将が攻撃すると、
「そんなことはかまわない。人は死ぬ時になると何もこわいものはなくなりますよ。それにしても碁の勝負にお負けになったのは気の毒だった。私を寛大にお扱いくだすって、あの時目くばせをしてそばへ呼んでくだすったら、よい助言ができたのに、勝たせてあげたのに」
 などと言って、また、

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いでやなぞ数ならぬ身にかなはぬは人に負けじの心なりけり
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 とも歌った。中将の君が笑いながら、

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わりなしや強きによらん勝ち負けを心一つにいかが任する
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 と言う態度までも、冷淡に思われる少将であった。

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哀れとて手を許せかし生き死にを君に任するわが身とならば
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 冗談《じょうだん》を混ぜては笑いもし、また泣きもして少将は夜通し中将の君の局《つぼね》から去らなかった。
 翌日はもう四月になっていた。兄弟たちは季の変わり目で皆御所へまいるのであったが、少将一人はめいりこんで物思いを続けているのを、母の夫人は涙ぐんで見ていた。大臣も、
「院の御感情を害してはならないし、自分がそうした間題に携わるのもいかがと思ったので、せっかく正月に逢《あ》っていながら何も言いださなかったのは間違いだった。私の口からぜひと懇望すれば同意の得られないことはなかったろうにと思われるのに」
 などと言っていた。この日もいつものように、少将からは、

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花を見て春は暮らしつ今日《けふ》よりや繁《しげ》きなげきの下に惑はん
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 という歌が恋人へ送られた。姫君の居間で高級な女房たちだけで、失望した求婚者たちのいたましいことが言い並べられている時に、中将の君が、
「生き死にを君に任すとお言いになりました時には、それを言葉だけのこととは思われなかったのですから気の毒でございましたよ」
 と言っているのを、尚侍は哀れに聞いていた。大臣やその夫人に対する義理と思って、なお娘を忘れぬ志があるなら、その時には誠意の見せ方があると、妹君をそれにあてて玉鬘《たまかずら》夫人は思っているのである。しかし院参を阻止しようとするような態度はきわめて不愉快であるとしていた。どれほどりっぱな人であっても、普通人には絶対に与えられぬと父である関白も思っていた娘なのであるから、院参をさせることすら未来の光明のない点で尚侍《ないしのかみ》は寂しく思っていたところへ、少将のこの手紙が来て女房たちはあわれがっていた。中将の君の返事、

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今日ぞ知る空をながむるけしきにて花に心を移しけりとも
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「まあお気の毒な、ただ言葉の遊戯にしてしまうことになるではありませんか」
 などと横から言う人もあったが、中将の君はうるさがって書き変えなかった。
 四月の九日に尚侍の長女は院の後宮へはいることになった。右大臣は車とか、前駆をする人たちとかを数多くつかわした。雲井《くもい》の雁《かり》夫人は姉の尚侍をうらめしくは思っているが、今まではそれほど親密に手紙も書きかわさなかったのに、あの問題があって、たびたび書いて送ることになったのに、それきりまたうとくなってしまうのもよろしくないと思って
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