、纏頭《てんとう》用として女の衣裳《いしょう》を幾組みも贈った。
[#ここから1字下げ]
気の抜けたようになっております人を介抱いたしますのにかかっておりまして、私はまだ何も知らなかったのでしたが、知らせてくださいませんことは、うとうとしいあそばされ方だとお怨《うら》みいたします。
[#ここで字下げ終わり]
 という手紙が添っていた。おおように言いながらも恨みのほのめかせてあるのを尚侍は哀れに思った。大臣からも手紙が送られた。
[#ここから1字下げ]
私も上がろうと思っていたのですが、あやにく謹慎日にあたるものですから失礼いたします。息子たちはどんな御用にでもお心安くお使いください。
[#ここで字下げ終わり]
 と言って、源少将、兵衛佐《ひょうえのすけ》などをつかわした。
「御親切は十分ある方だ」
 と言って玉鬘《たまかずら》夫人は喜んでいた。弟の大納言の所からも女房用にする車をよこした。この人の夫人は故関白の長女でもあったから、どちらからいっても親密でなければならないのであるが、実際はそうでもなかった。藤中納言は自身で来て、異腹の弟の中将や弁の公達《きんだち》といっしょになり、今日の世話に立ち働いていた。父の関白がいたならばと、何につけてもこの人たちは思われるのであった。蔵人少将は例のように綿々と恨みを書いて、
[#ここから1字下げ]
もう生ききれなく見えます命のさすがに悲しい私を、哀れに思うとただ一言でも言ってくださいましたら、それが力になってしばらくはなお命を保つこともできるでしょう。
[#ここで字下げ終わり]
 などとも言ってあるのを、中将の君が持って行った時に、居間では二人の姫君が別れることを悲しんでめいったふうになっていた。夜も昼もたいていいっしょにいた二人で、居間と居間の間に戸があって西東になっていることをすら飽き足らぬことに思って、双方どちらかが一人の居間へ行っていたような姉妹《きょうだい》が、別れ別れになるのを悲観しているのである。ことに美しく化粧がされ、晴れ着をつけさせられている姫君は非常に美しかった。父が天子の後宮の第一人にも擬していた自分であったがと、そんなことを思い出していて、寂しい気持ちに姫君がなっていた時であったから、少将の手紙も手に取って読んでみた。りっぱに父もあり母もそろっている家の子でいて、なぜこうした感情の節制もない手紙を書くのであろうと姫君はいぶかりながらも、それかぎりであきらめようと書かれてあるのを、真実のことかとも思って、少将の手紙の端のほうへ、

[#ここから2字下げ]
哀れてふ常ならぬ世の一言もいかなる人に掛くるものぞは

[#ここから1字下げ]
生死の問題についてだけほのかにその感じもいたします。
[#ここで字下げ終わり]
 とだけ書いて、
「こう言ってあげたらどう」
 と姫君が言ったのを、中将の君はそのまま蔵人《くろうど》少将へ送ってやった。
 珍しい獲物のようにこれが非常にうれしかったにつけても、今日が何の日であるかと思うと、また少将の涙はとめどもなく流れた。またすぐに、「恋ひ死なばたが名は立たん」などと恨めしそうなことを書いて、

[#ここから2字下げ]
生ける世の死には心に任せねば聞かでややまん君が一言

[#ここから1字下げ]
塚《つか》の上にでも哀れをかけてくださるあなただと思うことができましたら、すぐにも死にたくなるでしょうが。
[#ここで字下げ終わり]
 こんなことも二度めの手紙にあるのを読んで、姫君はせねばよい返事をしたのが残念だ、あのまま送ってやったらしいと苦しく思って、もうものも言わなくなった。
 院へ従って行く女房も童女もきれいな人ばかりが選ばれた。儀式は御所へ女御《にょご》の上がる時と変わらないものであった。尚侍はまず女御のほうへ行って話などをした。新女御は夜が更《ふ》けてからお宿直《とのい》に上がって行ったのである。后《きさき》の宮も女御たちも、もう皆長く侍しておられる人たちばかりで、若い人といってはない所へ、花のような美しい新女御が上がったのであるから、院の御寵愛がこれに集まらぬわけはない。たいへんなお覚えであった。上ない御位《みくらい》におわしました当時とは違って、唯人《ただびと》のようにしておいでになる院の御姿は、よりお美しく、より光る御顔と見えた。尚侍が当分娘に添って院にとどまっていることであろうと、院は御期待あそばされたのであるが、早く帰ってしまったのを残念に思召《おぼしめ》し、恨めしくも思召した。
 院は源侍従を始終おそばへお置きになって愛しておいでになるのであって、昔の光源氏が帝《みかど》の御寵児であったころと同じように幸福に見えた。院の中では后の宮のほうへも、女一《にょいち》の宮《みや》の御母女御のほうへもこの人は皆心安く出入りしているのである。新女御にも敬意を表しに行くことをしながら、心のうちでは、失敗した求婚者をどう見ているかと知りたく思っていた。
 ある夕方のしめやかな気のする時に、薫《かおる》の侍従は藤《とう》侍従とつれ立って院のお庭を歩いていたが、新女御の住居《すまい》に近い所の五葉《ごよう》の木に藤《ふじ》が美しくかかって咲いているのを、水のそばの石に、苔《こけ》を敷き物に代えて二人は腰をかけてながめていた。露骨には言わないのであるが、失恋の気持ちをそれとなく薫は友にもらすのであった。

[#ここから2字下げ]
手にかくるものにしあらば藤の花松よりまさる色を見ましや
[#ここで字下げ終わり]

 と言って、花を見上げた薫の様子が身に沁《し》んで気の毒に思われた藤侍従は、自身は無力で友のために尽くすことができなかったということをほのめかして薫をなだめていた。

[#ここから2字下げ]
紫の色は通へど藤の花心にえこそ任せざりけれ
[#ここで字下げ終わり]

 まじめな性質の人であったから深く同情をしていた。薫は失恋にそれほど苦しみもしていなかったが残念ではあった。
 蔵人少将はどうすればよいかも自身でわからぬほど失恋の苦に悩んで、自殺もしかねまじい気色《けしき》に見えた。求婚者だった人の中では目標を二女に移すのもあった。蔵人少将を母夫人への義理で二女の婿にもと思い、かつて尚侍はほのめかしたこともあったが、あの時以後もう少将はこの家を訪《たず》ねることをしなくなった。院へは右大臣家の子息たちが以前から親しくまいっているのであったが、蔵人少将は新女御のまいって以来あまり伺候することがなくて、まれまれに殿上の詰め所へ顔を出してもその人はすぐに逃げるようにして帰った。
 帝は、故人の関白の意志は姫君を入内させることであって、院へ奉ることではなかったのを、遺族のとった処置は腑《ふ》に落ちぬことに思召《おぼしめ》して、中将をお呼びになってお尋ねがあった。
「天機よろしくはありませんでした。ですから世間の人も心の中でまずいことに思うことだと私が申し上げたのに、お母様は、信じるところがおありにでもなるように院参のほうへおきめになったものですから、私らが意見を異にしているようなことは言われなかったのです。ああしたお言葉をお上《かみ》からいただくようでは私の前途も悲観されます」
 中将は不愉快げに母を責めるのだった。
「何も私がそうでなければならぬときめたことではなく、ずいぶん躊躇《ちゅうちょ》をしたことなのだがね。お気の毒に存じ上げるほどぜひにと院の陛下が御懇望あそばすのだもの、後援者のない人は宮中にはいってからのみじめさを思って、はげしい競争などはもうだれもなさらないような院の後宮へ奉ったのですよ。だれも皆よくないことであれば忠告をしてくれればいいのだけれど、その時は黙っていて、今になると右大臣さんなども私の処置が悪かったように、それとなくおっしゃるのだから苦しくてなりませんよ。皆宿命なのですよ」
 と穏やかに尚侍は言っていた。心も格別騒いではいないのである。
「その前生の因縁というものは、目に見えないものですから、お上がああ仰せられる時に、あの妹は前生からの約束がありましてなどという弁解は申し上げられないではありませんか。中宮《ちゅうぐう》がいらっしゃるからと御遠慮をなすっても、院の御所には叔母《おば》様の女御さんがおいでになったではありませんか。世話をしてやろうとか、何とか、言っていらっしゃって御了解があるようでも、いつまでそれが続くことですかね、私は見ていましょう。御所には中宮がおいでになるからって、後宮がほかにだれも侍していないでしょうか。君に仕えたてまつることでは義理とか遠慮とかをだれも超越してしまうことができると言って、宮仕えをおもしろいものに昔から言うのではありませんか。院の女御が感情を害されるようなことが起こってきて、世間でいろんな噂《うわさ》をされるようになれば、初めからこちらのしたことが間違いだったとだれにも思われるでしょう」
 などとも中将は言った。兄弟がまたいっしょになっても非難するのを玉鬘《たまかずら》夫人は苦しく思った。
 その新女御を院が御|寵愛《ちょうあい》あそばすことは月日とともに深くなった。七月からは妊娠をした。悪阻《つわり》に悩んでいる新女御の姿もまた美しい。世の中の男が騒いだのはもっともである、これほどの人を話だけでも無関心で聞いておられるわけはないのであると思われた。御|愛姫《あいき》を慰めようと思召して、音楽の遊びをその御殿でおさせになることが多くて、院は源侍従をも近くへお招きになるので、その人の琴の音《ね》などを薫は聞くことができた。この侍従が正月に「梅が枝」を歌いながら訪《たず》ねて行った時に、合わせて和琴を弾《ひ》いた中将の君も常にそのお役を命ぜられていた。薫は弾き手のだれであるかを音に知って、その夜の追想が引き出されもした。
 翌年の正月には男踏歌《おとことうか》があった。殿上の若い役人の中で音楽のたしなみのある人は多かったが、その中でもすぐれた者としての選にはいって薫の侍従は右の歌手の頭《とう》になった。あの蔵人《くろうど》少将は奏楽者の中にはいっていた。初春の十四日の明るい月夜に、踏歌の人たちは御所と冷泉《れいぜい》院へまいった。叔母《おば》の女御も新女御も見物席を賜わって見物した。親王がた、高官たちも同時に院へ伺候した。源右大臣と、その舅家《きゅうけ》の太政大臣の二系統の人たち以外にはなやかなきれいな人はないように見える夜である。宮中で行なった時よりも、院の御所の踏歌を晴れがましいことに思って、人々は細心な用意を見せて舞った。また奏し合った中でも蔵人少将は、新女御が見ておられるであろうと思って興奮をおさえることができないのである。美しい物でもないこの夜の綿の花も、挿頭《かざ》す若|公達《きんだち》に引き立てられて見えた。姿も声も皆よかった。「竹河」を歌って階《きざはし》のもとへ歩み寄る時、少将の心にもまた去年の一月の夜の記憶がよみがえってきたために、粗相も起こしかねないほどの衝動を受けて涙ぐんでいた。后《きさき》の宮の御前で踏歌がさらにあるため、院もまたそちらへおいでになって御覧になるのであった。深更になるにしたがって澄み渡った月は昼より明るく照らすので、御簾《みす》の中からどう見られているかということに上気して、少将は院のお庭を歩くのでなく漂って行く気持ちでまいった。杯を受けて飲むことが少ないと言って、自身一人が責められることになるのも恥ずかしかった。
 踏歌の人たちは夜通しあちらこちらとまわったために翌日は疲労して寝ていた。薫侍従に院からのお召があった。
「苦しいことだ。しばらく休養したいのに」
 と言いながら伺候した。御所で踏歌を御覧になった様子などを院はお尋ねになるのであった。
「歌頭《かとう》は今まで年長者がするものなのだが、それに選ばれるほど認められているのだと思って満足した」
 と仰せられてかわいく思召す御さまである。「万春楽《ばんしゅんらく》」(踏歌の地に弾《ひ》く曲)の譜をお口にあそばしながら新女御の御殿へおいでになる院のお供を薫はした。前夜の見物に
前へ 次へ
全6ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
紫式部 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング