く勝手がわかっていないから」
 と言って、蔵人少将とつれだって西の渡殿《わたどの》の前の紅梅の木のあたりを歩きながら、催馬楽《さいばら》の「梅が枝」を歌って行く時に、薫の侍従から放散する香は梅の花の香以上にさっと内へにおってはいったために、家の人は妻戸を押しあけて和琴を歌に合わせて弾《ひ》きだした。呂《りょ》の声の歌に対しては女の琴では合わせうるものでないのに、自信のある弾き手だと思った薫は、少将といっしょにもう一度「梅が枝」を繰り返した。琵琶も非常にはなやかな音だった。まったく芸術的な家であるとおもしろくなった薫は、元日とは変わった打ち解けたふうになって、冗談《じょうだん》なども今夜は言った。
 御簾《みす》の中から和琴を差し出されたが、二人の公達《きんだち》は譲り合って手を触れないでいると、夫人は末の子の侍従を使いにして、
「あなたのは昔の太政大臣の爪音《つまおと》によく以ているということですから、ぜひお聞きしたいと思っているのです。今夜は鶯《うぐいす》に誘われたことにしてお弾きくだすってもいいでしょう」
 と言わせた。恥ずかしがって引っ込んでしまうほどのことでもないと思って、たいして熱心にもならず薫の弾きだした琴の音は、音波の遠く広がってゆくはなやかな気のされるものだった。接近することの少なかった親ではあるが、亡《な》くなったと思うと心細くてならぬ尚侍《ないしのかみ》が、和琴に追慕の心を誘われて身にしむ思いをしていた。
「この人は不思議なほど亡くなった大納言によく似ておいでになって、琴の音などはそのままのような気がされました」
 と言って、尚侍の泣くのも年のいったせいかもしれない。少将もよい声で「さき草」を歌った。批評家などがいないために、皆興に乗じていろいろな曲を次々に弾き、歌も多く歌われた。この家の侍従は父のほうに似たのか音楽などは不得意で、友人に杯をすすめる役ばかりしているのを、友から、
「君も勧杯の辞にだけでも何かをするものだよ」
 と言われて、「竹河《たけかわ》」をいっしょに歌ったが、まだ少年らしい声ではあるがおもしろく聞こえた。御簾《みす》の中からもまた杯が出された。
「あまり酔っては、平生心に抑制していることまでも言ってしまうということですよ。その時はどうなさいますか」
 などと言って、薫の侍従は杯を容易に受けない。小袿《こうちぎ》を下に重ねた細長のなつかしい薫香《たきもの》のにおいの染《し》んだのを、この場のにわかの纏頭《てんとう》に尚侍は出したのであるが、
「どうしたからいただくのだかわからない」
 と言って、薫はこの家の藤侍従の肩へそれを載せかけて帰ろうとした。引きとめて渡そうとしたのを、
「ちょっとおじゃまするつもりでいておそくなりましたよ」
 とだけ言って逃げて行った。
 蔵人少将はこの源侍従が意味ありげに訪問した今夜のようなことが続けば、だれも皆好意をその人にばかり持つようになるであろう、自分はいよいよみじめなものになると悲観していて、御簾《みす》の中の人へ恨めしがるようなこともあとに残って言っていた。

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人は皆花に心を移すらん一人ぞ惑ふ春の夜の闇《やみ》
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 こう言って、歎息《たんそく》しながら帰ろうとしている少将に、御簾の中の人が、

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折からや哀れも知らん梅の花ただかばかりに移りしもせじ
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 と返歌をした。
 翌朝になって源侍従から藤侍従の所へ、
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 昨夜は失礼をして帰りましたが皆さんのお気持ちを悪くしなかったかと心配しています。
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 と、婦人たちにも見せてほしいらしく仮名がちに書いて、端に、

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竹河《たけかは》のはしうちいでし一節《ひとふし》に深き心の底は知りきや
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 という歌もある手紙を送って来た。すぐに寝殿へこの手紙を持って行かれて、侍従の母夫人や兄弟たちもいっしょに見た。
「字も上手だね。まあどうして今からこんなに何もかもととのった人なのだろう。小さいうちに院とお別れになって、お母様の宮様が甘やかすばかりにしてお育てになった方だけれど、光った将来が今から見える人になっていらっしゃる」
 などと尚侍は言って、自分の息子たちの字の拙《つたな》さをたしなめたりした。藤侍従の返事は実際幼稚な字で書かれた。
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昨夜はあまり早くお帰りになったことで皆何とか言ってました。

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竹河によを更《ふ》かさじと急ぎしもいかなる節《ふし》を思ひおかまし
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 この時以来薫は藤侍従の部屋《へや》へよく来ることになって、姫君への憧憬《あこがれ》を常に伝
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