な方であった。
源右大臣には何人もの令嬢があって、長女は東宮に侍していて、競争者もないよい位置を得ているのである。下の令嬢はまた順序どおりに三の宮がお嫁《めと》りになるのであろうと世間も見ているし、中宮《ちゅうぐう》もそのお心でおありになるのであるが、兵部卿の宮にそのお心がないのである。恋愛結婚でなければいやであると思っておいでになるふうなのであった。夕霧の大臣も同じように娘たちを御兄弟の宮方に嫁《とつ》がせることを世間へはばかっているのであったが、もし懇望されるなら同意をするのに躊躇《ちゅうちょ》はしないというふうを見せて、兵部卿の宮に十分の好意を見せていた。大臣の六女は現在における自信のある貴公子の憧憬《どうけい》の的になっていた。
六条院がおいでにならぬようになってから、夫人がたは皆泣く泣くそれぞれの家へ移ってしまったのであって、花散里《はなちるさと》といわれた夫人は遺産として与えられた東の院へ行ったのであった。中宮は大部分宮中においでになったから、院の中は寂しく人少なになったのを、夕霧の右大臣は、
「昔の人の上で見ても、生きている時に心をこめて作り上げた家が、死後に顧みる者
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