りになることも、光源氏にやや過ぎていて、人々の尊敬している心が実質以上に美なる人、すぐれた人にする傾向があった。紫夫人が特に愛してお育てした方であったから、三の宮は二条の院に住んでおいでになるのである。むろん東宮は特別な方として御大切にあそばすのであるが、帝もお后《きさき》もこの三の宮を非常にお愛しになって、御所の中へお住居《すまい》の御殿も持たせておありになるが、宮はそれよりも気楽な自邸の生活をお喜びになって、二条の院におおかたはおいでになるのであった。御元服後は三の宮を兵部卿《ひょうぶきょう》の宮と申し上げるのであった。女一《にょいち》の宮《みや》は六条院の南の町の東の対《たい》を、昔のとおりに部屋《へや》の模様変えもあそばされずに住んでおいでになって、明け暮れ昔の美しい養祖母の女王《にょおう》を恋しがっておいでになった。二の宮も同じ六条院の寝殿を時々行ってお休みになる所にあそばして、御所では梅壺《うめつぼ》をお住居に使っておいでになったが、右大臣の二女をお嫁《めと》りになっていた。次の太子に擬せられておいでになる方で、臣下が御尊敬申していることも並み並みでなくて、その御人格も堅実
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