源氏物語
まぼろし
紫式部
與謝野晶子訳
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)御簾《みす》の
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)御|風采《ふうさい》の
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地から3字上げ]
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[#地から3字上げ]大空の日の光さへつくる世のやうやく
[#地から3字上げ]近きここちこそすれ (晶子)
春の光を御覧になっても、六条院の暗いお気持ちが改まるものでもないのに、表へは新年の賀を申し入れる人たちが続いて参入するのを院はお加減が悪いようにお見せになって、御簾《みす》の中にばかりおいでになった。兵部卿《ひょうぶきょう》の宮のおいでになった時にだけはお居間のほうでお会いになろうという気持ちにおなりになって、まず歌をお取り次がせになった。
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わが宿は花もてはやす人もなし何にか春の訪《たづ》ねきつらん
[#ここで字下げ終わり]
宮は涙ぐんでおしまいになって、
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香をとめて来つるかひなくおほかたの花の便《たよ》りと言ひやなすべき
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と返しを申された。紅梅の木の下を通って対のほうへ歩いておいでになる宮の、御|風采《ふうさい》のなつかしいのを御覧になっても、今ではこの人以外に紅梅の美と並べてよい人も存在しなくなったのであると院はお思いになった。花はほのかに開いて美しい紅を見せていた。音楽の遊びをされるのでもなく、常の新春に変わったことばかりであった。
女房なども長く夫人に仕えた者はまだ喪服の濃い色を改めずにいて、なお醒《さ》ましがたい悲しみにおぼれていた。他の夫人たちの所へお出かけになることがなくて、院が常にこちらでばかり暮らしておいでになることだけを皆慰めにしていた。これまで執心がおありになるのでもなく、時々情人らしくお扱いになった人たちに対しては独居をあそばすようになってからはかえって冷淡におなりになって、他の人たちへのごとく主従としてお親しみになるだけで、夜もだれかれと幾人も寝室へ侍《はべ》らせて、御退屈さから夫人の在世中の話などをあそばしたりした。次第に恋愛から超越しておしまいになった院は、まだこうした純粋なお心になれなかった時代に、怨《うら》めしそうな様子がおりおり夫人に見えたことなどもお思い出しになって、なぜ戯れ事にせよ、また運命がしからしめたにせよ、そうした誘惑に自分が打ち勝ちえないで、あの人を苦しめたのであろう、聡明《そうめい》な人であったから、十分の理解は持っていながらも、あくまで怨《うら》みきるということはなくて、どの人と交渉の生じた場合にも一度ずつはどうなることかと不安におびえたふうが見えたと院は回顧あそばされて、そうした煩悶《はんもん》を女王《にょおう》にさせたことを後悔される思いが胸からあふれ出るようにお感じになるのであった。
そのころのことを見ていた人で、今も残っている女房は少しずつ当時の夫人の様子を話し出しもした。入道の宮が六条院へ入嫁になった時には、なんら色に出すことをしなかった夫人であったが、事に触れて見えた味気ないという気持ちの哀れであった中にも、雪の降った夜明けに、戸のあけられるまでを待つ間、身内も冷え切るように思われ、はげしい荒れ模様の空も自分を悲しくしたのであったが、はいって行くと、なごやかな気分を見せて迎えながらも、袖《そで》がひどく涙でぬれていたのを、隠そうと努めた夫人の美質などを、院は夜通し思い続けておいでになって、夢にでも十分にその姿を見ることができるであろうか、どんな世にまためぐり合うことができるのであろうかとばかりあこがれておいでになった。夜明けに部屋《へや》へさがって行く女房なのであろうが、
「まあずいぶん降った雪」
と縁側で言うのが聞こえた。その昔の時のままなようなお気持ちがされるのであったが、夫人は御横にいなかった。なんという寂しいことであろうと院は思召《おぼしめ》した。
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うき世にはゆき消えなんと思ひつつ思ひのほかになほぞ程《ほど》経《ふ》る
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こうした時を何かによって紛らわしておいでになる院は、すぐに召し寄せて手水《ちょうず》をお使いになった。女房たちは埋《うず》んでおいた火を起こし出して火鉢《ひばち》をおそばへおあげするのであった。中納言の君や中将の君はお居間に来てお話し相手を勤めた。
「独《ひと》り寝《ね》がなんともいえないほど寂しく思われる夜だった。これでも安んじていられる自分だのに、つまらぬ関係をたくさんに作ってきたものだ」
とめいったふうに院は言っておいでになった。自分までもここを捨てて行ったなら、この人たちはどんなに憂鬱《ゆううつ》になるだろうなどとお思いになって、居間の中がお見渡されになるのであった。目だたぬように仏勤めをあそばして、経をお読みになる声を聞いていては、ただの場合でも涙の流れるものであるのに、まして院のお悲しみに深い同情を寄せている女房たちであったから、痛切においたましく思われた。
「この世のことではあまり不足を感じなくともよいはずの身分に生まれていながら、だれよりも不幸であると思わなければならぬことが絶えず周囲に起こってくる。これは自分に人生のはかなさを体験すべく仏がお計らいになるのだと思われる。それをしいて知らぬ顔にしてきたものだから、こうして命の終わりも近い時になって、最も悲しい経験をすることになったのだ。これで負って来た業《ごう》も果たせた気がして、安らかな境地が自分の心にできて、執着の残るものもない私だが、あなたたちと以前よりも、より親密にして数か月を暮らしてきたことで、あなたたちとの別れにもう一度心が乱れないかという不安が自分にできてきた。弱い私の心じゃないか」
とお言いになって、目をおおさえになるふうをしてお紛らしになろうとするにもかかわらず、院のお涙のこぼれるのを見る女房たちは、ましてとめどもなく泣かれるのであった。そうしていよいよ院が見捨てておしまいになることの歎《なげ》かわしさをだれも訴えたいのであるが、言い出しうる者もなかった。皆むせ返っていたからである。こんなふうに歎きに明かしておしまいになる朝、物思いに一日をお暮らしになった夕方などのしんみりとした時間には、愛人関係が以前あった人たちを居間に集めて語り合うのを慰めにあそばす院でおありになった。
中将の君というのはまだ小さい時から夫人に仕えてきた人であったが、院はいつとなく無関心でありえなくおなりになったか情人にしておしまいになったのを、彼女は夫人に対して自責の念に堪えないで、院の愛の手を避けるようにばかりしていたが、夫人の歿後《ぼつご》は愛欲を離れて、だれよりもすぐれて故人の愛していた女房であったとお思われになることによって、形見と見てこの人に院は愛を持っておいでになった。性質も容貌《ようぼう》も皆よくて、喪服姿がうない松に似た可憐《かれん》な女である。親しくない女房には顔もあまりお見せにならないこのごろの院でおありになった。お近しくした高官たちとか、御兄弟の宮がたとかは始終お訪《たず》ねされるのであるがあまり御面会になることもない。人と逢《あ》っている時だけはよく自制して醜態を見せまいとしても、長く悲しみに浸っていてぼけた自分がどんなあやまちを客の前でしてしまうかもしれぬ、そうしたことがのちに語り伝えられることはいやである、歎き疲れて人に逢うこともできないと言われるのも、恥ずかしいことは同じであるが、話だけで想像されることよりも実際人の目で見られたことの噂《うわさ》になるほうが迷惑になるとお思いになって、大将などにも御簾《みす》越しでしかお逢いにならなかった。こんなふうに悲歎に心が顛倒《てんとう》したように人が言うであろう間を静かに過ごしてから、と出家の日をお思いになって、まだ人間の中をお去りになることをされないのであった。
他の夫人たちの所へ稀《まれ》においでになることがあっても、そこでその人々が紫の女王でないことから新しいお悲しみが心に湧《わ》いて涙ばかりが流れるのをみずからお恥じになってどちらへももう出かけられることがなくなっていた。中宮《ちゅうぐう》は御所へお入れになったのであるが、三の宮だけは寂しさのお慰めにここへとどめてお置きになった。
「お祖母《ばあ》様がおっしゃったから」
とお言いになって、宮は対の前の紅梅と桜を責任があるように見まわっておいでになるのを、院は哀れに思召《おぼしめ》した。
二月になると、花の木が盛りなのも、まだ早いのも、梢《こずえ》が皆|霞《かす》んで見える中に、女王の形見の紅梅に鶯《うぐいす》が来てはなやかに啼《な》くのを、院は縁へ出てながめておいでになった。
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植ゑて見し花の主人《あるじ》もなき宿に知らず顔にて来居る鶯
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春の空を仰いで吐息《といき》をおつかれになった。
春が深くなっていくにしたがって庭の木立ちが昔の色を皆備えてお胸を痛くするばかりであったから、この世でもないほどに遠くて、鳥の声もせぬ山奥へはいりたくばかり院はお思いになるのであった。山吹の咲き誇った盛りの花も涙のような露にぬれているところばかりがお目についた。よそでは一重桜が散り、八重の盛りが過ぎて樺桜《かばざくら》が咲き、藤《ふじ》はそのあとで紫を伸べるのが春の順序であるが、この庭は花の遅速を巧みに利用して、散り過ぎた梢はあとの花が隠してしまうように女王がしてあったために、いつまでも光る春がとどまっているようなのである。若宮が、
「私の桜がとうとう咲いた。いつまでも散らしたくないな。木のまわりに几帳《きちょう》を立てて、切れを垂《た》れておいたら風も寄って来ないだろうと思う」
たいした発明をされたようにこう言っておいでになる顔のお美しさに院も微笑をあそばした。
「覆《おお》うばかりの袖《そで》がほしいと歌った人よりも宮の考えのほうが合理的だね」
などとお言いになって、この宮だけを相手にして院は暮らしておいでになるのであった。
「あなたと仲よくしていることも、もう長くはないのですよ。私の命はまだあっても、絶対にお逢いすることができなくなるのです」
とまた院は涙ぐんでお言いになるのを、宮は悲しくお思いになって、
「お祖母《ばあ》様のおっしゃったことと同じことをなぜおっしゃるの、不吉ですよ、お祖父《じい》様」
と言って、顔を下に伏せて御自身の袖などを手で引き出したりして涙を宮はお隠しになっていた。欄干の隅《すみ》の所へ院はおよりかかりになって、庭をも御簾《みす》の中をもながめておいでになった。女房の中にはまだ喪服を着ているのがあった。普通の服を着ているのも、皆|派手《はで》な色彩を避けていた。院御自身の直衣《のうし》も色は普通のものであるが、わざとじみな無地なのを着けておいでになるのであった。座敷の中の装飾なども簡素になっていて目に寂しい。
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今はとて荒《あら》しやはてん亡《な》き人の心とどめし春の垣根《かきね》を
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とお歌いになる院は真心からお悲しそうであった。
徒然《とぜん》さに院は入道の宮の御殿へおいでになった。若宮も人に抱かれて従っておいでになって、こちらの若宮といっしょに走りまわってお遊びになるのであった。花の木をおいたわりになる責任もお忘れになるくらいにおふざけになった。
尼宮は仏前で経を読んでおいでになった。たいした信仰によっておはいりになった道でもなかったが、人生になんらの不安もお感じになるものもなくて、余裕のある御身分であるために、専心に仏勤めがおできになり、その他のことにいっさい無関心でおいでになる御様子の見えるのを院はうらやましく思召した。こうした浅い動機で仏の御|弟子《でし》になられた方にも劣る自分であると残念にお思いになるのである。閼伽棚《あかだな》に置かれた花に
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