った。
縁側に近い御簾《みす》の中に院のお席があって、そこにはただ式部卿《しきぶきょう》の宮が御同席され、右大臣の陪覧する座があっただけである。以下の高官たちは皆縁側に席をして、そこには形式を省いた饗応《きょうおう》の物が出されてあった。右大臣の四男と、左大将の三男、それに兵部卿《ひょうぶきょう》の宮の御幼年の王子お二人の四人立ちで万歳楽が舞われるのであるが、皆小さい姿でかわいかった。四人とも皆高い貴族の子供たちで風貌《ふうぼう》が凡庸でない。皆にいたわれながら小公子たちは登場した。また大将の典侍腹《てんじばら》の二男と、式部卿の宮の御長男でもとは兵衛督であって今は源中納言となっている人の子のこの二人が「皇※[#「鹿/章」、第3水準1−94−75]《こうじょう》」、右大臣の三男が「陵王《りょうおう》」、大将の長男の「落蹲《らくそん》」のほかにも「太平楽」「喜春楽」などの舞曲も若い公達《きんだち》が演じた。日が暮れてしまうと御前の御簾は巻き上げられて、音楽にも舞にもおもしろみが加わってゆく。かわいい姿の御孫の公達は秘伝を惜しまずそれぞれの師匠が教えた芸に、よい遺伝からの才気の加味された
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