った。以前の婿の左大将が御養女の婿として得意な色を見せて、賀宴の主催者になっているのを御覧になる宮は、御不快なことであろうとも思われたが、御孫である左大将家の長男次男は紫夫人の甥《おい》としても、主催者の子としても席上の用にいろいろと立ち働いていた。籠《かご》詰めの料理の付けられた枝が四十、折櫃《おりびつ》に入れられた物が四十、それらを中納言をはじめとして御|親戚《しんせき》の若い役人たちが取り次いで御前へ持って出た。院の御前には沈《じん》の懸盤《かけばん》が四つ、優美な杯の台などがささげられた。朱雀《すざく》院がまだ御全快あそばさないので、この御宴席で専門の音楽者は呼ばれなかった。楽器類のことは玉鬘夫人の実父の太政大臣が引き受けて名高いものばかりが集められてあった。
「この世で六条院の賀宴のほかに、高尚《こうしょう》なものの集まってよい席というものはない筈なのだ」
 と言って、大臣は当日の楽器を苦心して選んだ。それらで静かな音楽の合奏があった。和琴《わごん》はこの大臣の秘蔵して来た物で、かつてこの名手が熱心に弾《ひ》いた楽器は諸人がかき立てにくく思うようであったから、かたく辞退してい
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