にもほかの対に離れていて、子供たちを呼び寄せて見るだけを楽しみにしていた。女の子が一人あって、それは十二、三になっていた。そのあとに男の子が二人あった。近年はもう夫婦の間も隔たりがちに暮らしていたが、ただ一人の夫人として尊重することは昔に変わらなかったのが、こんなふうになったのであるから、夫人ももう最後の時が来たのだと思うし、女房たちもそう見て悲しむよりほかはなかった。
 父宮がそのことをお聞きになって、
「そんな冷酷な扱いを受けてもまだ辛抱《しんぼう》強くあなたはしているのですか。それは自尊心も名誉心もない女のすることです。私の生きている間はまだあなたはそう奴隷的になっていないでもいいのです」
 と言うお言葉をお伝えさせになって、にわかに迎えをお立てになった。夫人はやっと常態になっていて、自身の不幸な境遇を悲しんでいる時に、このお言葉を聞いたのであったから、今になってまだ父宮のお言葉に従わずここにいて、まったく良人から捨てられてしまう日を待つことは、現在以上の恥になることであろうなどと思って、実家へ行くことにしたのであった。夫人の弟の公子たちは、左兵衛督《さひょうえのかみ》は高官であるから人目を引くのを遠慮して、そのほかの中将、侍従、民部大輔《みんぶだゆう》などで三つほどの車を用意して夫人を迎えに来たのであった。結局はこうなることを予想していたものの、いよいよ今日限りにこの家を離れなければならぬかと思うと、女房たちは皆悲しくなって泣き合った。
「これまでのようでないかかり人《びと》におなりになるのだから、お狭いところにおおぜいがお付きしていることはできません。幾人かの人だけはお供してあとは自分たちの家へ下がることにして、とにかくお落ち着きになるのを待ちましょう」
 などと女房たちは言って、それぞれの荷物を自宅へ運ばせ、別れ別れになるものらしい。夫人の道具の運ばれる物は皆それぞれ荷作りされて行く所で、上下の人が皆声を立てて泣いている光景は悲しいものであった。姫君と二人の男の子が何も知らぬふうに無邪気に家の中を歩きまわっているのを呼んで、夫人は前へすわらせた。
「お母様は不幸な運命でお父様から捨てられてしまったのだから、どちらかへ行ってしまわなければならない。あなたがたはまだ小さいのにお母様から離れてしまわなければならないのはかわいそうだね。姫君はどうなるかしれないお母様だけれど私といっしょにいることになさい。男の子も私について来て、時々ここへ来るようなことだけにしてはお父様がかわいがってくださらないよ。大人になって出世もできないような不幸の原因にそれがなるかもしれないからね。お祖父《じい》様の宮様のいらっしゃる間は、ともかくも役人の端にはしてもらえるにもせよね、お父様が今度親類におなりになった二人の大臣次第の世の中なのだから、その方たちにきらわれている私についていてはあなたがたは損で、出世などはできませんよ。そうかといってお坊様になって山や林へはいってしまうことは悲しいことだからね。それに不自然な出家をしては死んでからのちまで罪になります」
 と言って泣く母を見ては、深い意味はわからないままで子は皆悲しがって泣く。
「昔の小説の中でも普通にお子様を愛していらっしゃるお父様でも片親ではね、いろんなことの影響を受けてだんだん子供に冷淡になっていくものですよ。そしてこちらの殿様は現在でさえもああしたふうをお見せになるじゃありませんか。お子様の将来を思ってくださるようなことはないと思います」
 と乳母《めのと》たちは乳母たちでいっしょに集まって、悲しんでいた。日も落ちたし雪も降り出しそうな空になって来た心細い夕べであった。
「天気がずいぶん悪くなって来たそうです。早くお出かけになりませんか」
 と夫人の弟たちは急がせながらも涙をふいて悲しい肉親たちをながめていた。姫君は大将が非常にかわいがっている子であったから、父に逢《あ》わないままで行ってしまうことはできない、今日父とものを言っておかないでは、もう一度そうした機会はないかもしれないと思ってうつぶしになって泣きながら行こうとしないふうであるのを夫人は見て、
「そんな気にあなたのなっていることはお母様を悲しくさせます」
 などとなだめていた。そのうち父君は帰るかもしれぬと姫君は思っているのであるが、日が暮れて夜になった時間に、どうして逆にこの家へ大将が帰ろう。
 姫君は始終自身のよりかかっていた東の座敷の中の柱を、だれかに取られてしまう気のするのも悲しかった。姫君は檜皮《ひわだ》色の紙を重ねて、小さい字で歌を書いたのを、笄《こうがい》の端で柱の破《わ》れ目へ押し込んで置こうと思った。

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今はとて宿借れぬとも馴《な》れ来つる真木の柱はわれを忘るな
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 この歌を書きかけては泣き泣いては書きしていた。夫人は、
「そんなことを」
 と言いながら、

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馴れきとは思ひ出《い》づとも何により立ちとまるべき真木の柱ぞ
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 と自身も歌ったのであった。女房たちの心もいろいろなことが悲しくした。心のない庭の草や木と別れることも、あとに思い出して悲しいことであろうと心が動いた。木工《もく》の君は初めからこの家の女房であとへ残る人であった。中将の君は夫人といっしょに行くのである。

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「浅けれど石間《いはま》の水はすみはてて宿|守《も》る君やかげはなるべき
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 思いも寄らなかったことですね、こうしてあなたとお別れするようになるなどと」
 と中将の君が言うと、木工《もく》は、

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「ともかくも石間《いはま》の水の結ぼほれかげとむべくも思ほえぬ世を
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 何が何だかどうなるのだか」
 と言って泣いていた。
 車が引き出されて人々は邸《やしき》の木立ちのなお見える間は、自分らはまたもここを見る日はないであろうと悲しまれて、隠れてしまうまで顧みられた。住んでいる主人《あるじ》のために家と別れるのが惜しいのではなくて、家そのものに愛着のある心がそうさせるのである。
 大将夫人をお迎えになって、宮は非常にお悲しみになった。母の夫人は泣き騒いだ。
「太政大臣のことをよい親戚《しんせき》を持ったようにあなたは喜んでいらっしゃいますが、私には前生にどんな仇敵《かたき》だった人かと思われます。女御《にょご》などにも何かの場合に好意のない態度を露骨にお見せになりましたが、そのころは須磨《すま》時代の恨みが忘られないのだろうとあなたがお言いになり、世間でもそう批評されたのでも私には腑《ふ》に落ちなかったのです。それだのにまた今になって、養女を取ったりなどして、自分が御|寵愛《ちょうあい》なすって古くなすった代償にまじめな堅い男を取り寄せて婿にするなどということをなさる。これが恨めしくなくて何ですか」
 こう言い続けるのである。
「聞き苦しい。世間から何一つ批難をお受けにならない大臣を、出まかせな雑言《ぞうごん》で悪く言うのはおよしなさい。聡明《そうめい》な人はこちらの罪を目前でどうしようとはしないで、自然の罰にあうがいいと考えていられたのだろう。そう思われる私自身が不幸なのだ。冷静にしていられるようで、そしてあの時代の報いとして、ある時はよくしたり、ある時はきびしくしたりしようと考えていられるのだろう。私一人は妻の親だとお思いになって、いつかも驚くべき派手《はで》な賀宴を私のためにしてくだすった。まあそれだけを生きがいのあったこととして、そのほかのことはあきらめなければならないのだろう」
 と宮がお言いになるのを聞いて、夫人はいよいよ猛《たけ》り立つばかりで、源氏夫婦への詛《のろ》いの言葉を吐き散らした。この夫人だけは善良なところのない人であった。
 大将は夫人が宮家へ帰ったことを聞いてほんとうらしくもなく、若夫婦の中ででもあるような争議を起こすものである、自分の妻はそうした愛情を無視するような態度のとれる性質ではないのであるが、宮が軽率な計らいをされるのであると思って、子供もあることであったし、夫人のために世間体も考慮してやらねばならないと煩悶《はんもん》してのちに、こうした奇怪な出来事が家のほうであったと話して、
「かえってさっぱりとした気もしないではありませんが、しかしそのままでおとなしく家の一隅《いちぐう》に暮らして行けるはずの善良さを私は妻に認めていたのですよ。にわかに無理解な宮が迎えをおよこしになったのであろうと想像されます。世間へ聞こえても私を誤解させることだから、とにかく一応の交渉をしてみます」
 とも言って出かけるのであった。よいできの袍《ほう》を着て、柳の色の下襲《したがさね》を用い、青鈍《あおにび》色の支那《しな》の錦《にしき》の指貫《さしぬき》を穿《は》いて整えた姿は重々しい大官らしかった。決して不似合いな姫君の良人《おっと》でないと女房たちは見ているのであったが、尚侍《ないしのかみ》は家庭の悲劇の伝えられたことでも、自分の立場がつらくなって、大将の好意がうるさく思われて、あとを見送ろうともしなかった。
 宮へ抗議をしに大将は出かけようとしているのであったが、先に邸のほうへ寄って見た。木工《もく》の君などが出て来て、夫人の去った日の光景をいろいろと語った。姫君のことを聞いた時に、どこまでも自制していた大将も堪えられないようにほろほろと涙をこぼすのが哀れであった。
「どうしたことだろう。常人でない病気のある人を、長い間どんなにいたわって私が来たかがわかってもらえないのだね。軽薄な男なら今日《きょう》までだって決して連れ添ってはいなかったろう。でもしかたがない、あの人はどこにいても廃人なのだから同じだ。子供たちをどうしようというのだろう」
 大将は泣きながら真木柱の歌を読んでいた。字はまずいが優しい娘の感情はそのまま受け取れることができて、途中も車の中で涙をふきふき宮邸へ向かった。夫人は逢《あ》おうとしなかった。
「逢う必要はない。新しい女に心の移っているという話は、今度始まったことでもない。あの人が若い妻をほしがっている話を聞いてから長い月日もたっている。そんな良人《おっと》の愛があなたへ帰ってくることなどは期待されないことだ。そして健全な女でないという点だけをいよいよ認めさせることになります」
 と言う宮の御注意が大将夫人へあったのである。もっともなことである。
「何だか若い夫婦の仲で起こった事件のようで勝手の違った気がします。二人の中には愛すべき子もあるのだからと信頼を持ち過ぎてのんきであった私のあやまちは、どんな言葉ででも許してもらえないだろうと思いますが、それはそれとして穏便にだけはしてくだすって、今後私のほうによくないことがあれば世間も許さないでしょうから、その時に断然としたこういう処置もとられたらいいでしょう」
 などと大将は困りながら取り次がせていた。姫君にだけでも逢いたいと言ったのであるが出しそうもない。男の子の十歳《とお》になっているのは童殿上《わらわでんじょう》をしていて、愛らしい子であった。人にもほめられていて、容貌《ようぼう》などはよくもないが、貴族の子らしいところがあって、その子はもう父母の争いに関心が持てるほどになっていた。二男は八つくらいである。かわいい顔で姫君にも似ていたから、大臣は髪をなでてやりながら、
「おまえだけを恋しい形見にこれからは見て行くのだねお父様は」
 などと泣きながら言っていた。大将は宮へ御面会を願ったのであるが、
「風邪《かぜ》で引きこもっている時ですから」
 と断わられて、きまりが悪くなって宮邸を出た。二人の男の子を車に乗せて話しながら来たのであったが、六条院へつれて行くことはできないので、自邸へ置いて、
「ここにおいで。お父様は始終来て見ることができるから」
 と大将は言っていた。悲しそうに心細いふうで父を見送っていたのが哀れに思われて、大将は予期し
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