ございます時などに聞くことができますでしょうか。田舎《いなか》の人などもこれはよく習っております琴ですから、気楽に稽古《けいこ》ができますもののように私は思っていたのでございますがほんとうの上手《じょうず》な人の弾くのは違っているのでございましょうね」
 玉鬘は熱心なふうに尋ねた。
「そうですよ。あずま琴などとも言ってね、その名前だけでも軽蔑《けいべつ》してつけられている琴のようですが、宮中の御遊《ぎょゆう》の時に図書の役人に楽器の搬入を命ぜられるのにも、ほかの国は知りませんがここではまず大和《やまと》琴が真先《まっさき》に言われます。つまりあらゆる楽器の親にこれがされているわけです。弾《ひ》くことは練習次第で上達しますが、お父さんに同じ音楽的の遺伝のある娘がお習いすることは理想的ですね。私の家などへも何かの場合においでにならないことはありませんが、精いっぱいに弾かれるのを聞くことなどは困難でしょう。名人の芸というものはなかなか容易に全部を見せようとしないものですからね。しかしあなたはいつか聞けますよ」
 こう言いながら源氏は少し弾いた。はなやかな音であった。これ以上な音が父には出るのであろうかと玉鬘《たまかずら》は不思議な気もしながらますます父にあこがれた。ただ一つの和琴《わごん》の音だけでも、いつの日に自分は娘のために打ち解けて弾いてくれる父親の爪音にあうことができるのであろうと玉鬘はみずからをあわれんだ。「貫川《ぬきがは》の瀬々《せぜ》のやはらだ」(やはらたまくらやはらかに寝る夜はなくて親さくる妻)となつかしい声で源氏は歌っていたが「親さくる妻」は少し笑いながら歌い終わったあとの清掻《すがが》きが非常におもしろく聞かれた。
「さあ弾いてごらんなさい。芸事は人に恥じていては進歩しないものですよ。『想夫恋《そうふれん》』だけはきまりが悪いかもしれませんがね。とにかくだれとでもつとめて合わせるのがいいのですよ」
 源氏は玉鬘の弾くことを熱心に勧めるのであったが、九州の田舎で、京の人であることを標榜《ひょうぼう》していた王族の端くれのような人から教えられただけの稽古《けいこ》であったから、まちがっていてはと気恥ずかしく思って玉鬘は手を出そうとしないのであった。源氏が弾くのを少し長く聞いていれば得る所があるであろう、少しでも多く弾いてほしいと思う玉鬘であった。いつとなく
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