言わないことにしてください」
と言って帰って行った。玉鬘は年齢からいえば何ももうわかっていてよいのであるが、まだ男女の秘密というものはどの程度のものを言うのかを知らない。今夜源氏の行為以上のものがあるとも思わなかったから、非常な不幸な身になったようにも歎《なげ》いているのである。気分も悪そうであった。女房たちは、「病気ででもおありになるようだ」と心配していた。
「殿様は御親切でございますね。ほんとうのお父様でも、こんなにまでよくあそばすものではないでしょう」
などと、兵部がそっと来て言うのを聞いても、玉鬘は源氏がさげすまれるばかりであった。それとともに自身の運命も歎かれた。
翌朝早く源氏から手紙を送って来た。身体《からだ》が苦しくて玉鬘は寝ていたのであるが、女房たちは硯《すずり》などを出して来て、返事を早くするようにと言う。玉鬘はしぶしぶ手に取って中を見た。白い紙で表面だけは美しい字でまじめな書き方にしてある手紙であった。
[#ここから1字下げ]
例もないように冷淡なあなたの恨めしかったことも私は忘れられない。人はどんな想像をしたでしょう。
[#ここから2字下げ]
うちとけてねも見ぬものを若草のことありがほに結ぼほるらん
[#ここから1字下げ]
あなたは幼稚ですね。
[#ここで字下げ終わり]
恋文であって、しかも親らしい言葉で書かれてある物であった。玉鬘は憎悪《ぞうお》も感じながら、返事をしないことも人に怪しませることであるからと思って、分の厚い檀紙《だんし》に、ただ短く、
[#ここから1字下げ]
拝見いたしました。病気をしているものでございますから、失礼いたします。
[#ここで字下げ終わり]
と書いた。源氏はそれを見て、さすがにはっきりとした女であると微笑されて、恨むのにも手ごたえのある気がした。
一度口へ出したあとは「おほたの松の」(恋ひわびぬおほたの松のおほかたは色に出《い》でてや逢はんと言はまし)というように、源氏が言いからんでくることが多くなって、玉鬘の加減の悪かった身体がなお悪くなっていくようであった。こうしたほんとうのことを知る人はなくて、家の中の者も、外の者も、親と娘としてばかり見ている二人の中にそうした問題の起こっていると、少しでも世間が知ったなら、どれほど人笑われな自分の名が立つことであろう、自分は飽くまでも薄倖《はっこう》な女である、父君に自分のことが知られる初めにそれを聞く父君は、もともと愛情の薄い上に、軽佻《けいちょう》な娘であるとうとましく自分が思われねばならないことであると、玉鬘《たまかずら》は限りもない煩悶《はんもん》をしていた。兵部卿《ひょうぶきょう》の宮や右大将は自身らに姫君を与えてもよいという源氏の意向らしいことを聞いて、ほんとうのことはまだ知らずに、非常にうれしくて、いよいよ熱心な求婚者に宮もおなりになり、大将もなった。
底本:「全訳源氏物語 中巻」角川文庫、角川書店
1971(昭和46)年11月30日改版初版発行
1994(平成6)年6月15日39版発行
※このファイルは、古典総合研究所(http://www.genji.co.jp/)で入力されたものを、青空文庫形式にあらためて作成しました。
※校正には、2002(平成14)年1月15日44版を使用しました。
入力:上田英代
校正:kumi
2003年7月18日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全7ページ中7ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
紫式部 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング