夫人の所ではこの現象は明石夫人がいかに深く愛されているかを思わせるものであると言っていた。まして南の御殿の人々はくやしがった。
 源氏はまだようやく曙《あけぼの》ぐらいの時刻に南御殿へ帰った。こんなに早く出て行かないでもいいはずであるのにと、明石はそのあとでやはり物思わしい気がした。紫の女王はまして、失敬なことであると、不快に思っているはずの心がらを察して、
「ちょっとうたた寝をして、若い者のようによく寝入ってしまった私を、迎えにもよこしてくれませんでしたね」
 こんなふうにも言って機嫌《きげん》を取っているのもおもしろく思われた。打ち解けた返辞のしてもらえない源氏は困ったままで、そのまま寝入ったふうを作ったが、朝はずっと遅《おそ》くなって起きた。正月の二日は臨時の饗宴《きょうえん》を催すことになっていたために、忙しいふうをして源氏はきまり悪さを紛らせていた。親王がたも高官たちもほとんど皆六条院の新年宴会に出席した。音楽の遊びがあって贈り物に纏頭《てんとう》に六条院にのみよくする華奢《かしゃ》が見えた。多数の縉紳《しんしん》は皆きらびやかに風采《ふうさい》を作っているが、源氏に準じて見えるほどの人もないのであった。個別的に見ればりっぱな人の多い時ではあるが、源氏の前では光彩を失ってしまうのが気の毒である。つまらぬ下僕《しもべ》なども主人に従って六条院へ来る時には、服装も身の取りなしをも晴れがましく思うのであったから、まして年若な高官たちは妙齢の姫君が新たに加わった六条院の参座には夢中になるほど容姿を気にして来て、平年と違った光景が現出された新春であった。春の花を誘う夕風がのどかに吹いていた。前の庭の梅が少し咲きそめたこの黄昏《たそがれ》時に、楽音がおもしろく起こって来た。「この殿」が最初に歌われて、はなやかな気分がまず作られたのである。源氏も時々声を添えた。福草《さきぐさ》の三つ葉四つ葉にというあたりがことにおもしろく聞かれた。どんなことにも源氏の片影が加わればそのものが光づけられるのである。こうしたはなやかな遊びも派手《はで》な人出入りの物音も遠く離れた所で聞いている紫の女王《にょおう》以外の夫人たちは、極楽世界に生まれても下品下生《げぼんげしょう》の仏で、まだ開かない蓮《はす》の蕾《つぼみ》の中にこもっている気がされた。まして離れた東の院にいる人たちは、年月に添えて退屈さと寂しさが加わるのであるが、うるさい世の中と隔離した山里に住んでいる気になっていて、源氏の冷淡さをとがめたり恨んだりする気にもなれなかった。物質的の心配はいっさいなかったから、仏勤めをする人は専念に信仰の道に進めるし、文学好きな人はまたその勉強がよくできた。住居《すまい》なども個人個人の趣味と生活にかなった様式に作られてあった。
 新年騒ぎの少し静まったころになって源氏は東の院へ来た。末摘花《すえつむはな》の女王《にょおう》は無視しがたい身分を思って、形式的には非常に尊貴な夫人としてよく取り扱っているのである。昔たくさんあった髪も、年々に少なくなって、しかも今は白い筋の多く混じったこの人を、面と向かって見ることが堪えられず気の毒で、源氏はそれをしなかった。柳の色は女が着て感じのよいものでないと思われたが、それはここだけのことで、着手が悪いからである。陰気な黒ずんだ赤の掻練《かいねり》の糊気《のりけ》の強い一かさねの上に、贈られた柳の織物の小袿《こうちぎ》を着ているのが寒そうで気の毒であった。重ねに仕立てさせる服地も贈られたのであるがどうしたのであろう。鼻の色だけは春の霞《かすみ》にもこれは紛れてしまわないだろうと思われるほどの赤いのを見て、源氏は思わず歎息《たんそく》をした。手はわざわざ几帳《きちょう》の切れを丁寧に重ね直した。かえって末摘花は恥ずかしがっていないのである。こうして変わらぬ愛をかける源氏に真心から信頼している様子に同情がされた。こんなことにも常識の不足した点のあるのを、哀れな人であると源氏は思って、自分だけでもこの人を愛してやらねばというふうに考えるところに源氏の善良さがうかがえるのである。話す声なども寒そうに慄《ふる》えていた。
 源氏は見かねて言った。
「あなたの着物のことなどをお世話する者がありますか。こんなふうに気楽に暮らしていてよい人というものは、外見はどうでも、何枚でも着物を着重ねているのがいいのですよ。表面だけの体裁よさを作っているのはつまりませんよ」
 女王はさすがにおかしそうに笑った。
「醍醐《だいご》の阿闍梨《あじゃり》さんの世話に手がかかりましてね、仕立て物が間に合いませんでした上に、毛皮なども借りられてしまいまして寒いのですよ」
 と説明する阿闍梨というのは鼻の非常に赤い兄の僧のことである。あまりに見栄を知らない女で
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