情というものを持ち合っていた。現在では肉体の愛を超越した夫婦であった。しかも精神的には永久に離れまいと誓い合う愛人どうしである。几帳《きちょう》を隔てて花散里《はなちるさと》はすわっていたが、源氏がそれを手で押しやると、また花散里はそうするままになっていた。お納戸色という物は人をはなやかに見せないものであるが、その上この人は髪のぐあいなどももう盛りを通り過ぎた人になっていた。優美な物ではないが添え毛でもすればよいかもしれぬ。
「私のような男でなかったら愛をさましてしまうかもしれない衰退期の顔を、化粧でどうしようともしないほど私の心が信じられているのがうれしい。あなたが軽率な女で、ひがみを起こして別れて行っていたりしては、私にこの満足は与えてもらえなかったでしょう」
 源氏は花散里に逢《あ》うごとによくこんなことを言った。永久に変わっていかない自身の愛と、この女の持つ信頼は理想的なものであるとさえ源氏は思っていた。親しい調子でしばらく話していたあとで、西の対のほうへ源氏は行った。
 玉鬘《たまかずら》がここへ住んでまだ日の浅いにもかかわらず西の対の空気はしっくりと落ち着いたものになっていた。美しい童女によい好みの服装をさせたのや、若い女房などがおおぜいいて、室内の設備などはかなり行き届いてできてはいるが、まだ十分にあるべき調度が調っているのではなくてもとにかく感じよく取りなされてあった。玉鬘自身もはなやかな麗人であると、見た目はすぐに感じるような、あのきわだった山吹の色の細長が似合う顔と源氏の見立てたとおりの派手《はで》な美人は、暗い陰影というものは、どこからも見いだせない輝かしい容姿を持っていた。苦労をしてきた間に少し少なくなった髪が、肩の下のほうでやや細くなりさらさらと分かれて着物の上にかかっているのも、かえってあざやかな清さの感ぜられることであった。今はこうして自分の庇護のもとに置くがあぶないことであったと以前のことを深く思う源氏は、この人を情人にまでせずにはおかれないのでなかろうか。肉親のようにまでなって暮らしていながらもまだ源氏は物足りない気のすることを、自身ながらも奇怪に思われて、表面にこの感情を現わすまいと抑制していた。
「私はもうずっと前からあなたがこの家の人であったような気がして満足していますが、あなたも遠慮などはしないで、私のいるほうなどにも出ていらっしゃい。琴を習い始めた女の子などもいますから、その稽古《けいこ》を見ておやりなさい。気を置かねばならぬような曲がった性格の人などはあちらにいませんよ。私の妻などがそうですよ」
 と源氏が言うと、
「仰せどおりにいたします」
 と玉鬘《たまかずら》は言っていた。もっともなことである。
 日の暮れ方に源氏は明石《あかし》の住居《すまい》へ行った。居間に近い渡殿《わたどの》の戸をあけた時から、もう御簾《みす》の中の薫香《たきもの》のにおいが立ち迷っていて、気高《けだか》い艶《えん》な世界へ踏み入る気がした。居間に明石の姿は見えなかった。どこへ行ったのかと源氏は見まわしているうちに硯《すずり》のあたりにいろいろな本などが出ているのに目がついた。支那《しな》の東京錦《とんきんにしき》の重々しい縁《ふち》を取った褥《しとね》の上には、よい琴が出ていて、雅味のある火鉢《ひばち》に侍従香がくゆらしてある。その香の高い中へ、衣服にたきしめる衣被香《えびこう》も混じって薫《くゆ》るのが感じよく思われた。そのあたりへ散った紙に手習い風の無駄《むだ》書きのしてある字も特色のある上手《じょうず》な字である。くずした漢字をたくさんには混ぜずに感じよく書かれてあるのであった。姫君から来た鶯《うぐいす》の歌の返事に興奮して、身にしむ古歌などが幾つも書かれてある中に、自作もあった。

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珍しや花のねぐらに木づたひて谷の古巣をとへる鶯
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 やっと聞き得た鶯の声というように悲しんで書いた横にはまた「梅の花咲ける岡辺《をかべ》に家しあれば乏しくもあらず鶯の声」と書いて、みずから慰めても書かれてある。源氏はこの手習い紙をながめながら微笑《ほほえ》んでいた。書いた人はきまりの悪い話である。筆に墨をつけて、源氏もその横へ何かを書きすさんでいる時に明石は膝行《いざ》り出た。思い上がった女性ではあるが、さすがに源氏に主君としての礼を取る態度が謙遜《けんそん》であった。この聡明《そうめい》さは明石の魅力でもあった。白い服へ鮮明に掛かった黒髪の裾《すそ》が少し薄くなって、きれいに分かれた筋を作っているのもかえってなまめかしい。源氏は心が惹《ひ》かれて、新春の第一夜をここに泊まることは紫夫人を腹だたせることになるかもしれぬと思いながら、そのまま寝てしまった。六条院の他の
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