あると思いながらも、ここではまじめな一面だけを見せている源氏はなおも注意をする。
「毛皮はお坊様にあげたほうが適当でいいのですよ、そんな物より、白い着物という物は何枚でも重ねて着ていいのですからね。なぜあなたはそうしないのですか。入り用な物も送ってよこすのを私が忘れていれば、遠慮なく言ってよこしてください。もとからぼんやりとした私はまた怠《なま》け者でもあるし、ほかの方たちのこととこんがらがってしまうこともあって、済まない結果にもなるのですよ」
 と言って源氏は、隣の二条院のほうの蔵《くら》をあけさせ、絹や綾《あや》を多く紅《くれない》の女王に贈った。荒れた所もないが、男主人の平生住んでいない家は、どことなく寂しい空気のたまっている気がした。前の庭の木立ちだけは春らしく見えて、咲いた紅梅なども賞翫《しょうがん》する人のないのをながめて、

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ふるさとの春の木末にたづねきて世の常ならぬ花を見るかな
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 と源氏は独言《ひとりごと》したが、鼻の赤い夫人は何のこととも気づかなかったであろう。
 空蝉《うつせみ》の尼君の住んでいる所へ源氏は来た。そこの主人《あるじ》らしくここは住まずに、目だたぬ一室にいて、住居《すまい》の大部分を仏間に取った空蝉が仏勤めに傾倒して暮らす様子も哀れに見えた。経巻の作りよう、仏像の飾り、ちょっとした閼伽《あか》の器具などにも空蝉のよい趣味が見えてなつかしかった。青鈍《あおにび》色の几帳《きちょう》の感じのよい蔭《かげ》にすわっている尼君の袖口《そでぐち》の色だけにはほかの淡い色彩も混じっていた。源氏は涙ぐんでいた。
「松が浦島《うらしま》(松が浦島|今日《けふ》ぞ見るうべ心あるあまも住みけり)だと思って神聖視するのにとどめておかねばならないあなたなのですね。昔から何という悲しい二人でしょう。しかしこうして逢《あ》ってお話しするくらいのことは永久にできるだけの因縁があるのですね」
 などと言った。空蝉の尼君も物哀れな様子で、
「ただ今こんなふうに御信頼して暮らさせていただきますことで、私は前生に御縁の深かったことを思っております」
 と言う。
「あなたを虐《しいた》げた過去の追憶に苦しんで、おりおり今でも仏にお詫《わ》びを言わねばならないのが私です。しかしおわかりになりましたか、ほかの男は私のように純なものではないということを、あなたはそれからの経験でお知りになっただろうと思う」
 継息子《ままむすこ》のよこしまな恋に苦しめられたことを、源氏は聞いていたのであろうと女は恥ずかしく思った。
「こんなにみじめになりました晩年をお見せしておりますことでだれの過去の罪も清算されるはずでございます。これ以上の報いがどこにございましょう」
 と言って、空蝉《うつせみ》は泣いてしまった。昔よりも深味のできた品のよい所が見え、過去の恋人で現在の尼君として別世界のものに扱うだけでは満足のできかねる気も源氏はしたが、恋の戯れを言いかけうる相手ではなかった。いろいろな話をしながらも、せめてこれだけの頭のよさがあの人にあればよいのにと末摘花の住居《すまい》のほうがながめられた。こんなふうで源氏の保護を受けている女は多かった。だれの所も洩《も》らさず訪問して、
「長く来られない時もありますが、心のうちでは忘れているのではないのです。ただ生死の別れだけが私たちを引き離すものだと思いますが、その命というものを考えると、実に心細くなりますよ」
 などとなつかしい調子で恋人たちを慰めていた。皆ほどほどに源氏は愛していた。女に対して驕慢《きょうまん》な心にもついなりそうな境遇にいる源氏ではあるが、末々の恋人にまで誠意を忘れず持ってくれることに、それらの人々は慰められて年月を送っていた。
 今年《ことし》の正月には男踏歌《おとことうか》があった。御所からすぐに朱雀《すざく》院へ行ってその次に六条院へ舞い手はまわって来た。道のりが遠くてそれは夜の明け方になった。月が明るくさして薄雪の積んだ六条院の美しい庭で行なわれる踏歌がおもしろかった。舞や音楽の上手《じょうず》な若い役人の多いころで、笛なども巧みに吹かれた。ことにここでのできばえを皆晴れがましく思っているのである。他の二夫人らにも来て見物することを源氏が勧めてあったので、南の御殿の左右の対や渡殿《わたどの》を席に借りて皆来ていた。東の住居《すまい》の西の対の玉鬘《たまかずら》の姫君は南の寝殿に来て、こちらの姫君に面会した。紫夫人も同じ所にいて几帳《きちょう》だけを隔てて玉鬘と話した。踏歌の組は朱雀《すざく》院で皇太后の宮のほうへ行っても一回舞って来たのであったから、時間がおそくなり、夜も明けてゆくので、饗応《きょうおう》などは簡単に済ますのでないか
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