出せたなら、自分の子を家へ迎えたように世間へは知らせておこうと、それはずっと以前からそうおっしゃるのですよ。私の幼稚な心弱さから、奥様のお亡《な》くなりになりましたことをあなたがたにお知らせすることができないでおりますうちに、御主人が少弐におなりになったでしょう。それはお名を聞いて知ったのですよ。お暇乞《いとまご》いに殿様の所へおいでになりましたのを、私はちらとお見かけしましたが、何をお尋ねすることもできないじまいになったのですよ。それでもまだ姫君をあの五条の夕顔の花の咲いた家へお置きになって赴任をなさるのだと思っていました。まあどうでしょう、もう一歩で九州の人になっておしまいになるところでございましたね」
などと人々は終日昔の話をしたり、いっしょに念誦《ねんず》を行なったりしていた。御堂へ参詣する人々を下に見おろすことのできる僧坊であった。前を流れて行くのが初瀬川である。右近は、
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「二もとの杉《すぎ》のたちどを尋ねずば布留《ふる》川のべに君を見ましや
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ここでうれしい逢瀬《おうせ》が得られたと申すものでございます」
と姫君に言った。
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初瀬川はやくのことは知らねども今日《けふ》の逢瀬に身さへ流れぬ
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と言って泣いている姫君はきわめて感じのよい女性であった。これだけの美貌《びぼう》が備わっていても、田舎《いなか》風のやぼな様子が添っていたなら、どんなにそれを玉の瑕《きず》だと惜しまれることであろう、よくもこれほどりっぱな貴女にお育ちになったものであると、右近は少弐未亡人に感謝したい心になった。母の夕顔夫人はただ若々しくおおような柔らかい感じの豊かな女性というにすぎなかった。これは容姿に気高《けだか》さのあるすぐれた姫君と見えるのであった。右近はこれによって九州という所がよい所であるように思われたが、また昔の朋輩《ほうばい》が皆|不恰好《ぶかっこう》な女になっているのであったから不思議でならなかった。日が暮れると御堂に行き、翌日はまた坊に帰って念誦《ねんず》に時を過ごした。秋風が渓《たに》の底から吹き上がって来て肌寒《はださむ》さの覚えられる所であったから、物寂しい人たちの心はまして悲しかった。姫君は右近の話から、人並みの運も持たないように悲観をしていた自分も、父の家の繁栄と、低い身分の人を母として生まれた子供たちさえも皆愛されて幸福になっていることがわかった上は、もう救われる時に達したのであるかもしれないという気になった。帰る時は双方でよく宿所を尋ね合って、またわからなくなってはと互いに十分の警戒をしながら別れた。右近の自宅も六条院に近い所であったから、九州の人の宿とも遠くないことを知って、その人たちは力づけられた気がした。
右近は旅からすぐに六条院へ出仕した。姫君の話をする機会を早く得たいと思う心から急いだのである。門をはいるとすでにすべての空気に特別な豪華な家であることが感ぜられるのが六条院である。来る車、出て行く車が無数に目につく。自分などがこの家の一人の女房として自由に出入りをすることもまばゆい気のすることであると右近に思われた。その晩は主人夫婦の前へは出ずに、部屋へ引きこもって右近はまた物思いをした。翌日は昨日自宅から上がって来た高級の女房が幾人《いくたり》もある中から、特に右近が夫人に呼び出されたのを、右近は誇らしく思った。源氏も夫人の居間にいた。
「どうして長く家へ行っていたのかね。少しこれまでとは違っているのではないか。独身者はこんな所にいる時と違って、自宅では若返ることもできるのだろう。おもしろいことがきっとあったろう」
などと例の困らせる気の戯談《じょうだん》を源氏が言う。
「ちょうど七日お暇《いとま》をいただいていたのでございますが、おもしろいことなどはなかなかないのでございます。山へ参りましてね。お気の毒な方を発見いたしました」
「だれ」
と源氏は尋ねた。突然その話をするのも、これまで夫人にしていない昔の話から筋を引いていることを、源氏にだけ言えば夫人があとで話をお聞きになって不快がられないかなどと右近は迷っていて、
「またくわしくお話を申し上げます」
と言って、ほかの女房たちも来たのでそのまま言いさしにした。
灯《ひ》などをともさせてくつろいでいる源氏夫婦は美しかった。女王《にょおう》は二十七、八になった。盛りの美があるのである。このわずかな時日のうちにも美が新しく加わったかと右近の目に見えるのであった。姫君を美しいと思って、夫人に劣っていないと見たものの思いなしか、やはり一段上の美が夫人にはあるようで幸福な人と不運な人とにはこれだけの相違があるものらしいなどと右近は思った。寝室にはいってから、脚《あし》を撫《な》でさせるために源氏は右近を呼んだ。
「若い人はいやな役だと迷惑がるからね。やはり昔|馴染《なじみ》の者は気心が双方でわかっていてどんなことでもしてもらえるよ」
と源氏が言っているのを聞いて、若い女房たちは笑っていた。
「そうですよ。どんなことでもさせていただいて私たちは結構なんですけれど、あの御戯談《ごじょうだん》に困るだけね」
などと言っているのであった。
「奥さんも昔馴染どうしがあまり仲よくしては機嫌《きげん》を悪くなさらない。決して寛大な方ではないから危《あぶな》いね」
などと言って源氏は笑っていた。愛嬌《あいきょう》があって常よりもまた美しく思われた。このごろは公職が閑散なほうに変ってしまって、自宅でものんきに女房などにも戯談を言いかけて相手をためすことなどを楽しむ源氏であったから、右近のような古女《ふるおんな》にも戯れてみせるのである。
「発見したって、どんな人かね。えらい修験者《しゅげんじゃ》などと懇意になってつれて来たのか」
と源氏は言った。
「ひどいことをおっしゃいます。あの薄命な夕顔のゆかりの方を見つけましたのでございます」
「そう、それは哀れな話だね、これまでどこにいたの」
と源氏に尋ねられたが、ありのままには言いにくくて、
「寂しい郊外に住んでおいでになったのでございます。昔の女房も半分ほどはお付きしていましてございますから、以前の話もいたしまして悲しゅうございました」
と右近は言っていた。
「もうわかったよ。あの事情を知っていらっしゃらない方がいられるのだからね」
と源氏が隠すように言うと、
「私がおじゃまなの、私は眠くて何のお話だかわからないのに」
と女王《にょおう》は袖《そで》で耳をふさいだ。
「どんな容貌《きりょう》、昔の夕顔に劣っていない」
「あんなにはおなりにならないかと存じておりましたけれど、とてもおきれいにおなりになったようでございます」
「それはいいね、だれぐらい、この人とはどう」
「どういたしまして、そんなには」
と右近が言うと、
「得意なようで恥ずかしい。何にせよ私に似ていれば安心だよ」
わざと親らしく源氏は言うのであった。
その話を聞いた時から源氏はおりおり右近一人だけを呼び出して姫君の問題について語り合った。
「私はあの人を六条院へ迎えることにするよ。これまでも何かの場合によく私は、あの人の行くえを失ってしまったことを思って暗い心になっていたのだからね。聞き出せばすぐにその運びにしなければならないのを、怠っていることでも済まない気がする。お父さんの大臣に認めてもらう必要などはないよ。おおぜいの子供に大騒ぎをしていられるのだからね。たいした母から生まれたのでもない人がその中へはいって行っては、結局また苦労をさせることになる。私のほうは子供の数が少ないのだから、思いがけぬ所で発見した娘だとも世間へは言っておいて、貴公子たちが恋の対象にするほどにも私はかしずいてみせる」
源氏の言葉を聞いていて、右近は姫君の運がこうして開かれて行きそうであるとうれしかった。
「何も皆|思召《おぼしめ》し次第でございます。内大臣へお知らせいたしますのも、あなた様のお手でなくてはできないことでございます。不幸なお亡《な》くなり方をなさいました奥様のかわりにもともかくも助けておあげになりましたなら罪がお軽くなります」
と右近が言うと、
「私をまだそんなふうにも責めるのだね」
源氏は微笑《ほほえ》みながらも涙ぐんでいた。
「短いはかない縁だったと、私はいつもあの人のことを思っている。この家に集まって来ている奥さんたちもね、あの時にあの人を思ったほどの愛を感じた相手でもなかったのが、皆あの人のように短命でないことだけで、私の忘れっぽい男でないのを見届けているのが多いのに、あの人の形見にはただ右近だけを世話していることが残念な気のすることは始終だったのに、そうして姫君を私の手もとへ引き取ることができればうれしいだろう」
こう言って、源氏は姫君へ最初の手紙を書いた。あの末摘花《すえつむはな》に幻滅を感じたことの忘れられない源氏は、そんなふうに逆境に育った麗人の娘、大臣の実子も必ずしも期待にそむかないとは思われない不安さから手紙の返事の書きようでまずその人を判断しようとしたのである。まじめにこまごまと書いた奥には、
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こんなに私があなたのことを心配していますことは、
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知らずとも尋ねて知らん三島江に生《お》ふる三稜《みくり》のすぢは絶えじな
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とも書いた。右近はこの手紙を自身で持って行って、源氏の意向を説明した。姫君用の衣服、女房たちの服の材料などがたくさん贈られた。源氏は夫人とも相談したものらしく、衣服係の所にできていた物も皆取り寄せて、色の調子、重ねの取り合わせの特にすぐれた物を選んで贈ったのであったから、九州の田舎《いなか》に長くいた人々の目に珍しくまばゆい物と映ったのはもっともなことである。姫君自身は、こんなりっぱな品々でなくても、実父の手から少しの贈り物でも得られたのならうれしいであろうが、知らない人と交渉を始めようなどとは意外であるというように、それとなく言って、贈り物を受けることを苦しく思うふうであったが、右近は母君と源氏との間に結ばれた深い因縁を姫君に言って聞かせた。人々も横から取りなした。
「そうして源氏の大臣の御厚意でごりっぱにさえおなりになりましたなら、内大臣様のほうからもごく自然に認めていただくことができます。親子の縁と申すものは絶えたようでも絶えないものでございます。右近でさえお目にかかりたいと一心に祈っていました結果はどうでございます。神仏のお導きがあったではございませんか。御双方ともお身体《からだ》さえお丈夫でいらっしゃればきっとお逢《あ》いになれる時がまいります」
とも慰めるのである。まず早く返事をと言って皆がかりで姫君を責めて書かせるのであった。自分はもうすっかり田舎者なのだからと姫君は書くのを恥ずかしく思うふうであった。用箋《ようせん》は薫物《たきもの》の香を沁《し》ませた唐紙《とうし》である。
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数ならぬみくりや何のすぢなればうきにしもかく根をとどめけん
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とほのかに書いた。字ははかない、力のないようにも見えるものであったが、品がよくて感じの悪くないのを見て源氏は安心した。姫君を住ます所をどこにしようかと源氏は考えたが、南の一廓はあいた御殿もない。華奢《かしゃ》な生活のここが中心になっている所であるから、人出入りもあまりに多くて若い女性には気の毒である。中宮のお住居《すまい》になっている一廓の中には、そうした人にふさわしい静かな御殿もあいているが、中宮の女房になったように世間へ聞かれてもよろしくないと源氏は思って、少しじみな所ではあるが東北の花散里《はなちるさと》の住居の中の西の対は図書室になっているのを、書物をほかへ移してそこへ住ませようという考えになった。近くにいる人も気だての優しい、おとなしい人であるから、花散里と親しくして暮らすのもいいであろうと思
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