ったのである。こうなってから夫人にも昔の夕顔の話を源氏はしたのであった。そうした秘密があったことを知って夫人は恨んだ。
「困るね。生きている人のことでは私のほうから進んで聞いておいてもらわねばならないこともありますがね。たとえこんな時にでも昔のそうした思い出を話すのはあなたが特別な人だからですよ」
こう言っている源氏には故人を思う情に堪えられない様子が見えた。
「自分の経験ばかりではありませんがね、他人のことででもよく見ましたがね、女というものはそれほど愛し合っている仲でなくてもずいぶん嫉妬《しっと》をするもので、それに煩わされている人が多いから、自分は恐ろしくて、好色な生活はすまいと念がけながらも、そのうち自然に放縦《ほうしょう》にもなって、幾人《いくたり》もの恋人を持ちましたが、その中で可憐《かれん》で可憐でならなく思われた女としてその人が思い出される。生きていたなら私は北の町にいる人と同じくらいには必ず愛しているでしょう。だれも同じ型の人はないものですが、その人は才女らしい、りっぱなというような点は欠けていたが、上品でかわいかった」
などと源氏が言うと、
「でも、明石《あかし》の波にくらべるほどにはどうだか」
と夫人は言った。今も北の御殿の人を、不当にすばらしく愛されている女であると夫人はねたんでいた。小さい姫君がかわいいふうをして前に聞いているのを見ると、夫人の言うほうがもっともであるかもしれないと源氏は思った。それらのことは皆九月のうちのことであった。
姫君が六条院へ移って行くことは簡単にもいかなかった。まずきれいな若い女房と童女を捜し始めた。九州にいたころには相当な家の出でありながら、田舎へ落ちて来たような女を見つけ次第に雇って、姫君の女房に付けておいたのであるが、脱出のことがにわかに行なわれたためにそれらの人は皆捨てて来て、三人のほかにはだれもいなかった。京は広い所であるから、市女《いちめ》というような者に頼んでおくと、上手《じょうず》に捜してつれて来るのである。だれの姫君であるかというようなことはだれにも知らせてないのである。いったん右近の五条の家に姫君を移して、そこで女房を選《え》りととのえもし衣服の仕度《したく》も皆して、十月に六条院へはいった。源氏は新しい姫君のことを花散里に語った。
「私の愛していた人が、むやみに悲観して郊外のどこかへ隠れてしまっていたのですが、子供もあったので、長い間私は捜させていたのですがなんら得る所がなくて、一人前の女になるまでほかに置いたわけなのですがその子のことが耳にはいった時にすぐにも迎えておかなければと思って、こちらへ来させることにしたのです。もう母親は死んでいるのです。中将をあなたの子供にしてもらっているのですから、もう一人あったっていいでしょう。世話をしてやってください。簡単な生活をして来たのですから、田舎風なことが多いでしょう。何かにつけて教えてやってください」
「ほんとうにそんな方がおありになったのですか。私は少しも知りませんでした。お嬢さんがお一人で、少し寂しすぎましたから、いいことですわね」
花散里はおおように言っている。
「母親だった人はとても善良な女でしたよ。あなたも優しい人だから安心してお預けすることができるのです」
などと源氏が言った。
「母親らしく世話を焼かせていただくこともこれまではあまり少なくて退屈でしたから、いいことだと思います、ごいっしょに住むのは」
と花散里は言っていた。女房たちなどは源氏の姫君であることを知らずに、
「またどんな方をお迎えになるのでしょう。同じ所へね。あまりに奥様を古物扱いにあそばすではありませんか」
と言っていた。
姫君は三台ほどの車に分乗させた女房たちといっしょに六条院へ移って来た。女房の服装なども右近が付いていたから田舎《いなか》びずに調えられた。源氏の所からそうした人たちに入り用な綾《あや》そのほかの絹布類は呈供してあったのである。
その晩すぐに源氏は姫君の所へ来た。九州へ行っていた人たちは昔光源氏という名は聞いたこともあったが、田舎住まいをしたうちにそのまれな美貌《びぼう》の人がこの世に現存していることも忘れていて今ほのかな灯《ひ》の明りに几帳《きちょう》の綻《ほころ》びから少し見える源氏の顔を見ておそろしくさえなったのであった。源氏の通って来る所の戸口を右近があけると、
「この戸口をはいる特権を私は得ているのだね」
と笑いながらはいって、縁側の前の座敷へすわって、
「灯があまりに暗い。恋人の来る夜のようではないか。親の顔は見たいものだと聞いているがこの明りではどうだろう。あなたはそう思いませんか」
と言って、源氏は几帳を少し横のほうへ押しやった。姫君が恥ずかしがって身体《からだ》を細くしてすわっている様子に感じよさがあって、源氏はうれしかった。
「もう少し明るくしてはどう。あまり気どりすぎているように思われる」
と源氏が言うので、右近は燈心を少し掻《か》き上げて近くへ寄せた。
「きまりを悪がりすぎますね」
と源氏は少し笑った。ほんとうにと思っているような姫君の目つきであった。少しも他人のようには扱わないで、源氏は親らしく言う。
「長い間あなたの居所がわからないので心配ばかりさせられましたよ。こうして逢《あ》うことができても、まだ夢のような気がしてね。それに昔のことが思い出されて堪えられないものが私の心にあるのです。だから話もよくできません」
こう言って目をぬぐう源氏であった。それは偽りでなくて、源氏は夕顔との死別の場を悲しく思い出しているのであった。年を数えてみて、
「親子であってこんなに長く逢えなかったというようなことは例もないでしょう。恨めしい運命でしたね。もうあなたは少女のように恥ずかしがってばかりいてよい年でもないのですから、今日までの話も私はしたいのに、なぜあなたは黙ってばかりいますか」
と源氏が恨みを言うのを聞くと、何と言ってよいかわからぬほど姫君は恥ずかしいのであったが、
「足立たずで(かぞいろはいかに哀れと思ふらん三とせになりぬ足立たずして)遠い国へ流れ着きましたころから、私は生きておりましたことか、死んでおりましたことかわからないのでございます」
とほのかに言うのが夕顔の声そのままの語音《ごいん》であった。源氏は微笑を見せながら、
「あなたに人生の苦しい道をばかり通らせて来た酬《むく》いは私がしないでだれにしてもらえますか」
と言って、源氏は聡明《そうめい》らしい姫君の物の言いぶりに満足しながら、右近にいろいろな注意を与えて源氏は帰った。
感じのよい女性であったことをうれしく思って、源氏は夫人にもそのことを言った。
「野蛮な地方に長くいたのだから、気の毒なものに仕上げられているだろうと私は軽蔑《けいべつ》していたが、こちらがかえって恥ずかしくなるほどでしたよ。娘にこうした麗人を持っているということを世間へ知らせるようにして、よくおいでになる兵部卿《ひょうぶきょう》の宮などに懊悩《おうのう》をおさせするのだね。恋愛至上主義者も私の家《うち》ではきまじめな方面しか見せないのも妙齢の娘などがないからなのだ。たいそうにかしずいてみせよう、まだ成っていない貴公子たちの懸想《けそう》ぶりをたんと拝見しよう」
と源氏が言うと、
「変な親心ね。求婚者の競争をあおるなどとはひどい方」
と女王《にょおう》は言う。
「そうだった、あなたを今のような私の心だったらそう取り扱うのだった。無分別に妻などにはしないで、娘にしておくのだった」
夫人の顔を赤らめたのがいかにも若々しく見えた。源氏は硯《すずり》を手もとへ引き寄せながら、無駄《むだ》書きのように書いていた。
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恋ひわたる身はそれながら玉鬘《たまかづら》いかなる筋を尋ね来つらん
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「かわいそうに」
とも独言《ひとりごと》しているのを見て、玉鬘の母であった人は、前に源氏の言ったとおりに、深く愛していた人らしいと女王は思った。
源氏は子息の中将にも、こうこうした娘を呼び寄せたから、気をつけて交際するがよいと言ったので、中将はすぐに玉鬘の御殿へ訪《たず》ねて行った。
「つまらない人間ですが、こんな弟がおりますことを御念頭にお置きくださいまして、御用があればまず私をお呼びになってください。こちらへお移りになりました時も、存じないものでお世話をいたしませんでした」
と忠実なふうに言うのを聞いていて、真実のことを知っている者はきまり悪い気がするほどであった。物質的にも一所懸命の奉仕をしていた九州時代の姫君の住居も現在の六条院の華麗な設備に思い比べてみると、それは田舎らしいたまらないものであったようにおとど[#「おとど」に傍点]などは思われた。すべてが洗練された趣味で飾られた気高《けだか》い家にいて、親兄弟である親しい人たちは風采《ふうさい》を始めとして、目もくらむほどりっぱな人たちなので、こうなってはじめて三条も大弐を軽蔑《けいべつ》してよい気になった。まして大夫《たゆう》の監《げん》は思い出すだけでさえ身ぶるいがされた。何事も豊後介《ぶんごのすけ》の至誠の賜物《たまもの》であることを玉鬘も認めていたし、右近もそう言って豊後介を賞《ほ》めた。確《しか》とした規律のある生活をするのにはそれが必要であると言って、玉鬘付きの家従や執事が決められた時に豊後介もその一人に登用された。すっかり田舎上がりの失職者になっていた豊後介はにわかに朗らかな身の上になった。かりにも出入りする便宜などを持たなかった六条院に朝夕出仕して、多数の侍を従えて執務することのできるようになったことを豊後介は思いがけぬ大幸福を得たと思っていた。これらもすべて源氏が思いやり深さから起こったことと言わねばならない。
年末になって、新年の室内装飾、春の衣裳《いしょう》を配る時にも、源氏は玉鬘を尊貴な夫人らと同じに取り扱った。どんなに思いのほかによい趣味を知った人と見えても、またどんなまちがった物の取り合わせをするかもしれぬという不安な気持ちもあって、玉鬘のほうへはすでに衣裳にでき上がった物を贈ることにしたが、その時にほうぼうの織物師が力いっぱいに念を入れて作り出した厚織物の細長や小袿《こうちぎ》の仕立てたのを源氏は手もとへ取り寄せて見た。
「非常にたくさんありますね。奥さんたちなどにもそれぞれよい物を選《え》って贈ることにしよう」
と源氏が夫人に言ったので、女王は裁縫係の所にでき上がっている物も、手もとで作らせた物もまた皆出して源氏に見せた。紫の女王はこうした服飾類を製作させることに趣味と能力を持っている点ででも源氏はこの夫人を尊重しているのである。あちらこちらの打ち物の上げ場から仕上がって来ている糊《のり》をした打ち絹も源氏は見比べて、濃い紅《べに》、朱の色などとさまざまに分けて、それを衣櫃《ころもびつ》、衣服箱などに添えて入れさせていた。高級な女房たちがそばにいて、これをそれに、それをこれにというように源氏の命じるままに贈り物を作っているのであった。夫人もいっしょに見ていて、
「皆よくできているのですから、お召しになるかたのお顔によく似合いそうなのを見立てておあげなさいまし。着物と人の顔が離れ離れなのはよくありませんから」
と言うと、源氏は笑って、
「素知らぬ顔であなたは着る人の顔を想像しようとするのですね。それにしてもあなたはどれを着ますか」
と言った。
「鏡に見える自分の顔にはどの着物を着ようという自信も出ません」
さすがに恥ずかしそうに言う女王であった。紅梅色の浮き模様のある紅紫の小袿《こうちぎ》、薄い臙脂紫《えんじむらさき》の服は夫人の着料として源氏に選ばれた。桜の色の細長に、明るい赤い掻練《かいねり》を添えて、ここの姫君の春着が選ばれた。薄いお納戸色に海草貝類が模様になった、織り方にたいした技巧の跡は見えながらも、見た目の感じの派手《はで》でない物に濃い紅の掻練を添えたのが花散里《は
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