後介は泣いた。「胡地妻子虚棄損《こちのさいしをむなしくすつ》」とこう兄の歌っている声を聞いて兵部も悲しんだ。自分のしていることは何事であろう、愛してくれる男ににわかにそむいて出て来たことをどう思っているであろうと、こんなことが思われたのである。京へはいっても自分らは帰って行く邸《やしき》などはない、知人の所といっても、たよって行ってよいほど頼もしい家もない、ただ一人の姫君のために生活の根拠のできていた土地を離れて、空想の世界へ踏み入ろうとする者であると豊後介は考えさせられた。姫君をもどうするつもりでいるのであろうと自身であきれながらも今さらしかたがなくてそのまま一行は京へはいった。九条に昔知っていた人の残っていたのを捜し出して、九州の人たちは足どまりにした。ここは京の中ではあるがはかばかしい人の住んでいる所でもない町である。外で働く女や商人の多い町の中で、悲しい心を抱いて暮らしていたが、秋になるといっそう物事が身に沁《し》んで思われて過去からも、未来からも暗い影ばかりが投げられる気がした。信頼されている豊後介も、京では水鳥が陸へ上がったようなもので、職を求める手蔓《てづる》も知らないの
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