も得て危ういほどにも早く京をさして走った。響《ひびき》の灘《なだ》も無事に過ぎた。海上生活二、三日ののちである。
「海賊の船なんだろうか、小さい船が飛ぶように走って来る」
 などと言う者がある。惨酷《ざんこく》な海賊よりも少弐《しょうに》の遺族は大夫《たゆう》の監《げん》をもっと恐れていて、その追っ手ではないかと胸を冷やした。

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憂《う》きことに胸のみ騒ぐひびきには響の灘も名のみなりけり
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 と姫君は口ずさんでいた。川尻《かわじり》が近づいたと聞いた時に船中の人ははじめてほっとした。例の船子《かこ》は「唐泊《からどまり》より川尻押すほどは」と唄《うた》っていた。荒々しい彼らの声も身に沁《し》んだ。豊後介《ぶんごのすけ》はしみじみする声で、愛する妻子も忘れて来たと歌われているとき、その歌のとおりに自分も皆捨てて来た、どうなるであろう、力になるような郎党は皆自分がつれて来てしまった。自分に対する憎悪《ぞうお》の念から大夫の監は彼らに復讐をしないであろうか、その点を考えないで幼稚な考えで、脱出して来たと、こんなことが思われて、気の弱くなった豊
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