感じる源氏であったから、余裕ができてはじめてのどかな家庭の主人《あるじ》になっていた。兵部卿《ひょうぶきょう》の宮の王女の幸福であることを言ってだれも祝った。少納言なども心のうちでは、この結果を得たのは祖母の尼君が姫君のことを祈った熱誠が仏に通じたのであろうと思っていた。父の親王も朗らかに二条の院に出入りしておいでになった。夫人から生まれて大事がっておいでになる王女方にたいした幸運もなくて、ただ一人がすぐれた運命を負った女と見える点で、継母にあたる夫人は嫉妬《しっと》を感じていた。紫夫人は小説にある継娘《ままこ》の幸運のようなものを実際に得ていたのである。
 加茂の斎院は父帝の喪のために引退されたのであって、そのかわりに式部卿《しきぶきょう》の宮の朝顔の姫君が職をお継ぎになることになった。伊勢へ女王が斎宮になって行かれたことはあっても、加茂の斎院はたいてい内親王の方がお勤めになるものであったが、相当した女御腹《にょごばら》の宮様がおいでにならなかったか、この卜定《ぼくじょう》があったのである。源氏は今もこの女王に恋を持っているのであるが、結婚も不可能な神聖な職にお決まりになった事を残念に思った。女房の中将は今もよく源氏の用を勤めたから、手紙などは始終やっているのである。当代における自身の不遇などは何とも思わずに、源氏は恋を歎《なげ》いていた、斎院と尚侍《ないしのかみ》のために。帝は院の御遺言のとおりに源氏を愛しておいでになったが、お若い上に、きわめてお気の弱い方でいらせられて、母后や祖父の大臣の意志によって行なわれることをどうあそばすこともおできにならなくて、朝政に御不満足が多かったのである。昔よりもいっそう恋の自由のない境遇にいても尚侍は文《ふみ》によって絶えず恋をささやく源氏を持っていて幸福感がないでもなかった。
 宮中で行なわせられた五壇の御修法《みずほう》のために帝が御謹慎をしておいでになるころ、源氏は夢のように尚侍へ近づいた。昔の弘徽殿の細殿《ほそどの》の小室へ中納言の君が導いたのである。御修法のために御所へ出入りする人の多い時に、こうした会合が、自分の手で行なわれることを中納言の君は恐ろしく思った。朝夕に見て見飽かぬ源氏と稀《まれ》に見るのを得た尚侍の喜びが想像される。女も今が青春の盛りの姿と見えた。貴女《きじょ》らしい端厳さなどは欠けていたかもしれぬが、美しくて、艶《えん》で、若々しくて男の心を十分に惹《ひ》く力があった。もうつい夜が明けていくのではないかと思われる頃、すぐ下の庭で、
「宿直《とのい》をいたしております」
 と高い声で近衛《このえ》の下士が言った。中少将のだれかがこの辺の女房の局《つぼね》へ来て寝ているのを知って、意地悪な男が教えてわざわざ挨拶《あいさつ》をさせによこしたに違いないと源氏は聞いていた。御所の庭の所々をこう言ってまわるのは感じのいいものであるがうるさくもあった。また庭のあなたこなたで「寅《とら》一つ」(午前四時)と報じて歩いている。

[#ここから2字下げ]
心からかたがた袖《そで》を濡《ぬ》らすかな明くと教ふる声につけても
[#ここで字下げ終わり]

 尚侍のこう言う様子はいかにもはかなそうであった。

[#ここから2字下げ]
歎《なげ》きつつ我が世はかくて過ぐせとや胸のあくべき時ぞともなく
[#ここで字下げ終わり]

 落ち着いておられなくて源氏は別れて出た。まだ朝に遠い暁月夜で、霧が一面に降っている中を簡単な狩衣《かりぎぬ》姿で歩いて行く源氏は美しかった。この時に承香殿《じょうきょうでん》の女御《にょご》の兄である頭中将《とうのちゅうじょう》が、藤壺《ふじつぼ》の御殿から出て、月光の蔭《かげ》になっている立蔀《たてじとみ》の前に立っていたのを、不幸にも源氏は知らずに来た。批難の声はその人たちの口から起こってくるであろうから。
 源氏は尚侍とまた新しく作ることのできた関係によっても、隙《すき》をまったくお見せにならない中宮《ちゅうぐう》をごりっぱであると認めながらも、恋する心に恨めしくも悲しくも思うことが多かった。御所へ参内することも気の進まない源氏であったが、そのために東宮にお目にかからないことを寂しく思っていた。東宮のためにはほかの後援者がなく、ただ源氏だけを中宮も力にしておいでになったが、今になっても源氏は宮を御当惑させるようなことを時々した。院が最後まで秘密の片はしすらご存じなしにお崩《かく》れになったことでも、宮は恐ろしい罪であると感じておいでになったのに、今さらまた悪名《あくみょう》の立つことになっては、自分はともかくも東宮のために必ず大きな不幸が起こるであろうと、宮は御心配になって、源氏の恋を仏力《ぶつりき》で止めようと、ひそかに祈祷《きとう》までもさせてできる限り
前へ 次へ
全17ページ中6ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
紫式部 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング