のことを尽くして源氏の情炎から身をかわしておいでになるが、ある時思いがけなく源氏が御寝所に近づいた。慎重に計画されたことであったから宮様には夢のようであった。源氏が御心《みこころ》を動かそうとしたのは偽らぬ誠を盛った美しい言葉であったが、宮はあくまでも冷静をお失いにならなかった。ついにはお胸の痛みが起こってきてお苦しみになった。命婦《みょうぶ》とか弁《べん》とか秘密に与《あずか》っている女房が驚いていろいろな世話をする。源氏は宮が恨めしくてならない上に、この世が真暗《まっくら》になった気になって呆然《ぼうぜん》として朝になってもそのまま御寝室にとどまっていた。御病気を聞き伝えて御帳台のまわりを女房が頻繁《ひんぱん》に往来することにもなって、源氏は無意識に塗籠《ぬりごめ》(屋内の蔵)の中へ押し入れられてしまった。源氏の上着などをそっと持って来た女房も怖《おそろ》しがっていた。宮は未来と現在を御悲観あそばしたあまりに逆上《のぼせ》をお覚えになって、翌朝になってもおからだは平常のようでなかった。
 兄君の兵部卿の宮とか中宮大夫などが参殿し、祈りの僧を迎えようなどと言われているのを源氏は苦しく聞いていたのである。日が暮れるころにやっと御病悩はおさまったふうであった。源氏が塗籠で一日を暮らしたとも中宮様はご存じでなかった。命婦や弁なども御心配をさせまいために申さなかったのである。宮は昼の御座へ出てすわっておいでになった。御|恢復《かいふく》になったものらしいと言って、兵部卿の宮もお帰りになり、お居間の人数が少なくなった。平生からごく親しくお使いになる人は多くなかったので、そうした人たちだけが、そこここの几帳《きちょう》の後ろや襖子《からかみ》の蔭《かげ》などに侍していた。命婦などは、
「どう工夫《くふう》して大将さんをそっと出してお帰ししましょう。またそばへおいでになると今夜も御病気におなりあそばすでしょうから、宮様がお気の毒ですよ」
 などとささやいていた。源氏は塗籠の戸を初めから細目にあけてあった所へ手をかけて、そっとあけてから、屏風《びょうぶ》と壁の間を伝って宮のお近くへ出て来た。ご存じのない宮のお横顔を蔭からよく見ることのできる喜びに源氏は胸をおどらせ涙も流しているのである。
「まだ私は苦しい。死ぬのではないかしら」
 とも言って外のほうをながめておいでになる横顔が非常に艶《えん》である。これだけでも召し上がるようにと思って、女房たちが持って来たお菓子の台がある、そのほかにも箱の蓋《ふた》などに感じよく調理された物が積まれてあるが、宮はそれらにお気がないようなふうで、物思いの多い様子をして静かに一所をながめておいでになるのがお美しかった。髪の質、頭の形、髪のかかりぎわなどの美しさは西の対の姫君とそっくりであった。よく似たことなどを近ごろは初めほど感ぜずにいた源氏は、今さらのように驚くべく酷似した二女性であると思って、苦しい片恋のやり場所を自分は持っているのだという気が少しした。高雅な所も別人とは思えないのであるが、初恋の宮は思いなしか一段すぐれたものに見えた。華麗な気の放たれることは昔にましたお姿であると思った源氏は前後も忘却して、そっと静かに帳台へ伝って行き、宮のお召し物の褄《つま》先を手で引いた。源氏の服の薫香《くんこう》の香《か》がさっと立って、宮は様子をお悟りになった。驚きと恐れに宮は前へひれ伏しておしまいになったのである。せめて見返ってもいただけないのかと、源氏は飽き足らずも思い、恨めしくも思って、お裾《すそ》を手に持って引き寄せようとした。宮は上着を源氏の手にとめて、御自身は外のほうへお退《の》きになろうとしたが、宮のお髪《ぐし》はお召し物とともに男の手がおさえていた。宮は悲しくてお自身の薄倖《はっこう》であることをお思いになるのであったが、非常にいたわしい御様子に見えた。源氏も今日の高い地位などは皆忘れて、魂も顛倒《てんとう》させたふうに泣き泣き恨みを言うのであるが、宮は心の底からおくやしそうでお返辞もあそばさない。ただ、
「私はからだが今非常によくないのですから、こんな時でない機会がありましたら詳しくお話をしようと思います」
 とお言いになっただけであるのに、源氏のほうでは苦しい思いを告げるのに千言万語を費やしていた。さすがに身に沁《し》んでお思われになることも混じっていたに違いない。以前になかったことではないが、またも罪を重ねることは堪えがたいことであると思召《おぼしめ》す宮は、柔らかい、なつかしいふうは失わずに、しかも迫る源氏を強く避けておいでになる。ただこんなふうで今夜も明けていく。この上で力で勝つことはなすに忍びない清い気高《けだか》さの備わった方であったから、源氏は、
「私はこれだけで満足します。せめて
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