いでになって、その方の意志で動く当代において、今後はどんなつらい取り扱いを受けねばならぬかというお心細さよりも、またない院の御愛情に包まれてお過ごしになった過去をお忍びになる悲しみのほうが大きかった。しかも永久に院の御所で人々とお暮らしになることはできずに、皆帰って行かねばならぬことも宮のお心を寂しくしていた。中宮は三条の宮へお帰りになるのである。お迎えに兄君の兵部卿《ひょうぶきょう》の宮がおいでになった。はげしい風の中に雪も混じって散る日である。すでに古御所《ふるごしょ》になろうとする人少なさが感ぜられて静かな時に、源氏の大将が中宮の御殿へ来て院の御在世中の話を宮としていた。前の庭の五葉が雪にしおれて下葉の枯れたのを見て、
[#ここから2字下げ]
蔭《かげ》ひろみ頼みし松や枯れにけん下葉散り行く年の暮《くれ》かな
[#ここで字下げ終わり]
宮がこうお歌いになった時、それが傑作でもないが、迫った実感は源氏を泣かせてしまった。すっかり凍ってしまった池をながめながら源氏は、
[#ここから2字下げ]
さえわたる池の鏡のさやけさに見なれし影を見ぬぞ悲しき
[#ここで字下げ終わり]
と言った。これも思ったままを三十一字にしたもので、源氏の作としては幼稚である。王命婦《おうみょうぶ》、
[#ここから2字下げ]
年暮れて岩井の水も氷とぢ見し人影のあせも行くかな
[#ここで字下げ終わり]
そのほかの女房の作は省略する。中宮の供奉《ぐぶ》を多数の高官がしたことなどは院の御在世時代と少しも変わっていなかったが、宮のお心持ちは寂しくて、お帰りになった御実家がかえって他家であるように思召されることによっても、近年はお許しがなくて御実家住まいがほとんどなかったことがおしのばれになった。
年が変わっても諒闇《りょうあん》の春は寂しかった。源氏はことさら寂しくて家に引きこもって暮らした。一月の官吏の更任期などには、院の御代《みよ》はいうまでもないがその後もなお同じように二条の院の門は訪客の馬と車でうずまったのだったのに、今年は目に見えてそうした来訪者の数が少なくなった。宿直《とのい》をしに来る人たちの夜具類を入れた袋もあまり見かけなくなった。親しい家司《けいし》たちだけが暢気《のんき》に事務を取っているのを見ても、主人である源氏は、自家の勢力の消長と人々の信頼が比例するものであることが思われておもしろくなかった。右大臣家の六の君は二月に尚侍《ないしのかみ》になった。院の崩御によって前《さきの》尚侍が尼になったからである。大臣家が全力をあげて後援していることであったし、自身に備わった美貌《びぼう》も美質もあって、後宮の中に抜け出た存在を示していた。皇太后は実家においでになることが多くて、稀《まれ》に参内になる時は梅壺《うめつぼ》の御殿を宿所に決めておいでになった。それで弘徽殿《こきでん》が尚侍の曹司《ぞうし》になっていた。隣の登花殿などは長く捨てられたままの形であったが、二つが続けて使用されて今ははなやかな場所になった。女房なども無数に侍していて、派手《はで》な後宮《こうきゅう》生活をしながらも、尚侍の人知れぬ心は源氏をばかり思っていた。源氏が忍んで手紙を送って来ることも以前どおり絶えなかった。人目につくことがあったらと恐れながら、例の癖で、六の君が後宮へはいった時から源氏の情炎がさらに盛んになった。院がおいでになったころは御遠慮があったであろうが、積年の怨みを源氏に酬《むく》いるのはこれからであると烈《はげ》しい気質の太后は思っておいでになった。源氏に対して何かの場合に意を得ないことを政府がする、それが次第に多くなっていくのを見て、源氏は予期していたことではあっても、過去に経験しなかった不快さを始終味わうのに堪えがたくなって、人との交際もあまりしないのであった。左大臣も不愉快であまり御所へも出なかった。亡《な》くなった令嬢へ東宮のお話があったにもかかわらず源氏の妻にさせたことで太后は含んでおいでになった。右大臣との仲は初めからよくなかった上に、左大臣は前代にいくぶん専横的にも政治を切り盛りしたのであったから、当帝の外戚として右大臣が得意になっているのに対しては喜ばないのは道理である。源氏は昔の日に変わらずよく左大臣家を訪《たず》ねて行き故夫人の女房たちを愛護してやることを忘れなかった。非常に若君を源氏の愛することにも大臣家の人たちは感激していて、そのためにまたいっそう小公子は大切がられた。過去の源氏の君は社会的に見てあまりに幸福過ぎた、見ていて目まぐるしい気がするほどであったが、このごろは通っていた恋人たちとも双方の事情から関係が絶えてしまったのも多かったし、それ以下の軽い関係の恋人たちの家を訪ねて行くようなことにも、もうきまりの悪さを
前へ
次へ
全17ページ中5ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
紫式部 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング