名は現わさずに、死んだ愛人を阿弥陀仏《あみだぶつ》にお託しするという意味を、愛のこもった文章で下書きをして源氏は見せた。
「このままで結構でございます。これに筆を入れるところはございません」
博士はこう言った。激情はおさえているがやはり源氏の目からは涙がこぼれ落ちて堪えがたいように見えた。その博士は、
「何という人なのだろう、そんな方のお亡《な》くなりになったことなど話も聞かないほどの人だのに、源氏の君があんなに悲しまれるほど愛されていた人というのはよほど運のいい人だ」
とのちに言った。作らせた故人の衣裳《いしょう》を源氏は取り寄せて、袴《はかま》の腰に、
[#ここから2字下げ]
泣く泣くも今日《けふ》はわが結《ゆ》ふ下紐《したひも》をいづれの世にか解けて見るべき
[#ここで字下げ終わり]
と書いた。四十九日の間はなおこの世界にさまよっているという霊魂は、支配者によって未来のどの道へ赴《おもむ》かせられるのであろうと、こんなことをいろいろと想像しながら般若心経《はんにゃしんぎょう》の章句を唱えることばかりを源氏はしていた。頭中将に逢《あ》うといつも胸騒ぎがして、あの故人が撫子
前へ
次へ
全66ページ中62ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
紫式部 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング