次いで村社三島神社境内にある立石――この立石を祀つた遺習が、今の三島神社建立の因となつたと想像される――を見て、暫く神社の回り縁に腰して休む。同行の一人、この山に野生するとも見えた枇杷を米嚢に一杯かついでくる。飢ゑた渇いた咽喉に、正に甘露の糧であつた。思ひを我等祖先の悠久な原始時代に馳せて、彼等が巨石の霊を信じながら、祭祀の盛典を設けた時分から、こゝに生ひ立ちみのつてゐたであらうところの、枇杷を口にする奇遇をしみ/″\感ずるのでもあつた。さうしてそれは又私の南予枇杷行のクライマツクスでなければならなかつた。

 翌日は巨石文化に関聯する、少名彦命の神陵に参拝した。途中に「神楽駄場《かぐらだば》」の平地があり、霊地を象徴する環状石群があり、遠き昔から「いらずの山」としてもつたいづけられてゐた神陵所在地は、近年或る淫祠建立のため蹂躪され、その土饅頭式陵墓の大半を破壊されてしまつた。それも某盲人の無智な少名彦神尊に端を発すといふ。
 維新前の大洲藩は、少名彦命神陵決定の場合、あるひは天領となるを恐れ、俗吏根性から極力その証左を湮滅せしめようとした形跡さへがあつた。無智な敬神観念が、陵墓の何
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