の苦酸《くさん》を嘗《な》めた男であったから、そういう感じが起ると同時にドッコイと踏止《ふみとど》まることを知っているので、反撃的《はんげきてき》の言葉などを出すに至るべき無益と愚《ぐ》との一歩手前で自ら省みた。
「ヤ、あの鶏《にわとり》は実に見事に出来ましたネ。私もあの鶏のような作がきっと出来るというのなら、イヤも鉄砲《てっぽう》も有りはしなかったのですがネ。」
と謙遜《けんそん》の布袋《ぬのぶくろ》の中へ何もかも抛《ほう》り込んでしまう態度を取りにかかった。世の中は無事でさえあれば好《い》いというのなら、これでよかったのだ。しかし若崎のこの答は、どうしても、何か有るのを露《あら》わすまいとしているのであると感じられずにはいない。
「きっと出来るよ。君の腕《うで》だからナ。」
と軽い言葉だ。善意の奨励《しょうれい》だ。赤剥《あかむ》きに剥いて言えば、世間に善意の奨励ほどウソのものは無い。悪意の非難がウソなら、善意の奨励もウソである。真実は意の無いところに在る。若崎は徹底《てってい》してオダテとモッコには乗りたくないと平常《いつも》思っている。客のこの言葉を聞くとブルッとするほど厭《い
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