のは、当時奥戸の渡船守《わたしもり》をしていた相撲|上《あが》りの男であったのである。少年の談《はなし》の中には裏面に何か存していることが明白に知られた。
 そうかい。そしてまた今日はどうして此処《ここ》へ来たのだい。
 だってせっかく釣って帰っても、今|小父《おじ》さんの言った通りにネ、昨日《きのう》は、こんな鮒なんか不味《まず》くて仕様がない、も少し気の利いた魚でも釣って来いって叱られたのだもの。
 誰に。
 お母《っか》さんに。
 じゃお母《っか》さんに吩咐《いいつけ》られて釣に出ているのかい。
 アア。下《くだ》らなく遊んでいるより魚でも釣って来いッてネ。僕下らなく遊んでいたんじゃない、学校の復習や宿題なんかしていたんだけれど。
 ここに至って合点が出来た。油然《ゆうぜん》として同情心が現前《まのあたり》の川の潮のように突掛《つっか》けて来た。
 ムムウ。ほんとのお母《っか》さんじゃないネ。
 少年は吃驚《びっくり》して眼を見張って自分の顔を見た。が、急に無言になって、ポックリちょっと頭《かしら》を下げて有難うという意を表したまま、竿を持って前の位置に帰った。その時あたかも自分
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