裏に起った事に引付けたから、自分は少年との応酬を忘れて、少年への観察を敢《あえ》てするに至った。
 参った。そりゃそうだった。何もお前遊びとは定《き》まっていなかったが……
と、ただ無意識で正直な挨拶をしながら、自分は凝然《じっ》と少年を見詰めていた。その間《あいだ》に少年は自分が見詰められているのも何にも気が着かないのであろう、別に何らの言語も表情もなく、自分の竿を挙げ、自分の坐をわたしに譲り、そして教えてやった場処に立って、その鉤を下《おろ》した。
 ヤ、有難う。
と自分は挨拶して、乱杭のむこうに鉤を投じ、自分の竿を自分の打った釘に載せて、静かに竿頭《さおさき》を眺めた。
 少年も黙っている。自分も黙っている。日の光は背に熱いが、川風は帽の下にそよ吹く。堤後《ていご》の樹下《じゅか》に鳴いているのだろう、秋蝉《あきぜみ》の声がしおらしく聞えて来た。
 潮は漸《ようや》く動いて来た。魚《うお》はまさに来らんとするのであるがいまだ来ない。川向うの蘆洲《ろしゅう》からバン鴨《がも》が立って低く飛んだ。
 少年はと見ると、干極《そこり》と異なって来た水の調子の変化に、些細の板沈子《いたおも
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