されたでもあったろう。
寂照は寂心恵心の間に挟まり、其他の碩徳《せきとく》にも参学して、学徳日に進んで衆僧に仰がれ依らるるに至り、幾干歳《いくばくさい》も経ないで僧都《そうず》になった。僧都だの僧正《そうじょう》だのというのは、俗界から教界を整理する便宜上から出来たもので、本来から云えば、名誉でもなく、有るべき筈もないものだが、寂照が僧都にされたことは、赤染集に見えている。寂心は僧官などは受けなかったようだが、一世の崇仰《すうぎょう》を得たことは勿論であって、後には天《あめ》が下を殆どおのが心のままにしたように謂《い》われ、おのれも寛仁の二年の冬には、自己満足の喜びの余りに「此世をば吾《わ》が世とぞおもふ望月《もちづき》のかけたることも無しとおもへば」と、実にケチな歌を詠んで好い気になった藤原道長も、寂心を授戒の師と頼んだのであった。何も道長が寂心に三帰五戒を授かったからとて寂心の為に重きを成すのでは無いが、あの果報いみじくて※[#「りっしんべん+喬」、第3水準1−84−61]慢至極であった御堂関白が、此の瘠《や》せぼけたおとなしい寂心を授戒の師とし、自分は白衣《びゃくえ》の弟子とし
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