われびをかけよ、と吩附《いいつ》けて、涙の漏る眼をおし拭うた。この鏡を売りに来た女は何様いうものであったか、定基に何か因縁のあったものか、文化文政度の小説ならば、何かの仔細《しさい》を附加えそうなところだが、それは何も分明していない。恐らくは偶然に斯様《こう》いうことが湧いて来たのであろう。強いて筋道を求むれば、人が濁悪《じょくあく》の世界を離れようとする時には、不思議に上求菩提《じょうぐぼだい》の因縁となることが現出するもので、それは浄居天《じょうごてん》がさせるわざだ、という小乗的の談《はなし》があるが、仮りに其談に従えば、浄居天が定基を喚《よ》びに来てくれたものであったろう。定基は其婦人の窮を救うために、種々の自分の財物《ざいもつ》を与え取らせた後不思議に清々《すがすが》しい好い心持になった。そして遂に愈々《いよいよ》吾が家を棄てて出た。勿論定基の母は恩愛の涙を流したことでは有ろうが、これを塞《ふさ》ぎ遮ろうとするような人では無く、却《かえ》って其|背影《うしろかげ》に合掌したことであったろう。棄恩入無為、真実報恩者の偈《げ》は、定基の※[#「匈/月」、945−上−22]の中《う
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