す》つるのである、力寿定基は終《つい》に死相捐てたのである。
力寿に捐てられ、力寿を捐てた後の定基は何様なったか。何様も無い、斯様《こう》も無い、ただそこには空虚があったばかりであった。定基は其空虚の中に、頭《かしら》は天を戴くでもなく、脚は地を履《ふ》むでも無く、東西も知らず南北も弁《わきま》えず、是非善悪吉凶正邪、何も分らずふらふらと月日を過した。其|中《うち》に四月が来て、年々の例式で風祭りということをする時が来た。風祭りと云っても、万葉の歌の、花に嵐を厭うて「風な吹きそと打越えて、名に負へる森に風祭りせな」というような風流な風祭りではない。三河の当時の田舎の神祭りの式で、生贄《いけにえ》を神に献じて暴風悪風の田穀を荒さぬようにと祈るのであった。趣意はもとより悪いことではない、例は年々行われて来たことだった。定基は三河の守である、式には勿論あずかったのである。ただ其の生贄を献《ささ》げるというのは、野猪《いのしし》を生けながら神前に引据えて、男共が情も無くおろしたのであった。野猪は鈍物でも殺されるのを合点して忍従する訳は無いから、逃れようともすれば、抵抗もする。終に敵《かな》わ
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