方の側からは、自然と匡衡の方は羨ましいものに見え、従って自分の方の現在が余計|忌々《いまいま》しいものに見えたに違い無く、匡衡の方からは、定基の方を、気の毒な、従って下らないものに見ていたと思われる。まして定基の妻からは、それこそ饑《う》えたる者が人の美饌を享くるを見る感《おもい》がしたろうことは自然であって、余計にもしゃくしゃが募ったろうことは測り知られる。
赤染右衛門は生れだちから苦労を背負《しょ》って来た女で、まだ当人が物の色さえ知らぬころから、なさけ無い争の間に立たせられたのであった。というのは右衛門の母が、何様いう訳合があったか、何様いう身分の女であったのか、今は更に知れぬことであるが、右衛門が赤染を名乗ったのは、赤染|大隅守《おおすみのかみ》時用《ときもち》の子として育ったからである。然るに歌人として名高い平兼盛が、其当時、生れた子を吾《わ》が女《むすめ》と称して引取ろうとしたのである。検非違使沙汰《けびいしざた》となった。検非違使庁は非違を検《あらた》むるところであるから、今の警視庁兼裁判所のようなものである。母は其子を兼盛の胤《たね》では無いと云張り、兼盛は吾子《わが
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