基には定まった妻があったのであって、其妻が徳川時代の分限者《ぶげんしゃ》の洒落《しゃれ》れた女房《にょうぼ》のように、わたしゃ此の家の床柱、瓶花《はな》は勝手にささしゃんせ、と澄ましかえって居てくれたなら論は無かったのだが、然様《そう》はいかなかった。一体女というものほど太平の恩沢に狎《なら》されて増長するものは無く、又|嶮《けわ》しい世になれば、忽《たちま》ち縮まって小さくなる憐れなもので、少し面倒な時になると、江戸褄《えどづま》も糸瓜《へちま》も有りはしない、モンペイはいて。バケツ提げて、ヒョタコラ姿の気息《いき》ゼイゼイ、御いたわしの御風情やと云いたい様になるのであるが、天日とこしえに麗わしくして四海波穏やかなる時には、鬚眉《しゅび》の男子皆御前に平伏して御機嫌を取結ぶので、朽木形の几帳《きちょう》の前には十二一重の御めし、何やら知らぬびらしゃらした御なりで端然《たんねん》としていたまうから、野郎共皆ウヘーとなって恐入り奉る。平安朝は丁度太平の満潮、まして此頃は賢女《けんじょ》才媛《さいえん》輩出時代で、紫式部やら海老茶式部、清少納言やら金時大納言など、すばらしい女が赫奕《かくえ
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