乞うたというから、定基も勿論同じ文雅の道の流れのものとして、自然保胤即ち寂心とは知合で、無論年輩の関係から保胤を先輩として交っていたろうことは明らかである。
 三河守定基は、まだ三十歳にもならないのに、三河守に任ぜられたことは、其父祖の功労によったことは勿論であるが、長男でもあらばこそ、次男の身を以て其処まで出世していたことは、一は其人物が英発して居って、そして学問詞才にも長《た》け、向上心の強い、勇気のある、しかも二王の筆致を得ていたと後年になって支那の人にさえ称讃されたほどであるから、内に自から収め養うところの工夫にも切なる立派な人物、所謂《いわゆる》捨てて置いても挺然《ていぜん》として群を抜くの器量が有ったからであったろう。
 此の定基が三十歳、人生はこれからという三十歳になるやならずに、浮世を思いきって、簪纓《しんえい》を抛《なげう》ち棄て、耀《かがや》ける家柄をも離れ、木の端、竹の片《きれ》のような青道心《あおどうしん》になって、寂心の許《もと》に走り、其弟子となったのは、これも因縁|成熟《じょうじゅく》して其処に至ったのだと云えば、それまでであるが、保胤が長年の間、世路に彷
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