までに至った人で、贈従二位大江|維時《これとき》の子であった。大江の家は大江|音人《おとんど》以来、儒道文学の大宗《たいそう》として、音人の子玉淵、千里、春潭《はるふち》、千古《ちふる》、皆詩歌を善くし、千里は和歌をも善くし、小倉百人一首で人の知っているものである。玉淵の子朝綱、千古、千古の子の維時は皆文章博士であり、維時の子の重光の子の匡衡《まさひら》も文章博士、維時の子の斉光は東宮学士、斉光の子の為基も文章博士であり、大江家の系図を覧《み》れば、文章博士や大学頭《だいがくのかみ》の鈴なりで、定基は為基の弟、匡衡とは従兄弟同士である。で、定基は父祖の功により、早く蔵人《くろうど》に擢《ぬきん》でられ、尋《つい》で二十何歳かで三河守に任ぜられたが、然様《そう》いう家柄の中に出来た人なので、もとより文学に通じ詞章を善くし、又是れ一箇の英霊底の丈夫であった。大江の家に対して、菅原古人以来、特《こと》に古人の曾孫《そうそん》に道真公を出したので大《おおい》に家声を挙げた菅原家もまた当時に輝いていたが、寂心の師事した文時は実に古人六世の孫であり、匡衡の如きも亦文時に文章詩賦の点鼠《てんざん》を
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