退するに至るものが、何程《どれほど》多いことであろうか。額を破り※[#「匈/月」、930−上−5]《むね》を傷つけるのを憚《はば》からずに敢て突進するの勇気を欠くものは、皆此の関所前で歩を横にしてぶらぶらして終《しま》うのである。芸術の世界でも、宗教の世界でも、学問の世界でも、人生戦闘の世界でも、百人が九十九人、千人が九百九十九人、皆此処で後《あと》へ退《さが》って終うのであるから、多数の人の取るところの道が正しい当然の道であるとするならば、疑も無く此の紙の冠を被《かぶ》った世渡り人《びと》の所為は正しいのである、情理至当のことなのである。寂心は飾り気の無い此の御房の打明話には、ハタと行詰らされて、優しい自分の性質から、将又《はたまた》智略を以て事に処することを卑しみ、覇気を消尽するのを以て可なりとしているような日頃の修行の心掛から、却《かえ》ってタジタジとなって押返されたことだったろう。ヤ、それは、と一句あとへ退った言葉を出さぬ訳にはゆかなかった。が、しかし信仰は信仰であった。さもあればあれ、と一[#(ト)]休め息を休めて、いかで三世如来の御姿を学ぶ御首《みぐし》の上に、勿体無くも俗
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